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Vol.71 エミー賞に7年連続ノミネート:実力派女優マリスカ・ハージティ PART1

2010年9月7日
アメリカTV界最大の式典であるエミー賞。今年も大物スターたちがぞろりとノミネートされましたが、7年連続してノミネートされ続けている実力派女優がいるのをご存知でしょうか。

2004年から毎年ドラマ部門主演女優賞にノミネートされており、2006年には受賞も経験している「LAW & ORDER:性犯罪特捜班」でオリビア・ベンソン刑事役を演じているマリスカ・ハージティです。

大女優を母に持つ彼女ですが、その役者人生は決して楽なものではなく、真剣に女優を止めようと思ったこともあったそうです。

これから数回に分けて、アメリカTV界で最も稼ぐ女優マリスカ・ハージティをご紹介します!

母親は大巨乳のセックスシンボル

マリスカの母親は50年代にアメリカ映画界でセックスシンボルとして崇められた大女優ジェーン・マンスフィールド、父親はミスター・ユニバース、ミスター・アメリカ、ミスター・オリンピアとボディ・ビルダーのタイトルを総なめしたミッキー・ハージティです。

ジェーンは、マリリン・モンローと同年代に活躍。ブロンド、100センチを超える大巨乳、とマリリンと共通点は多かったのですが、ジェーンの方が積極的で前に出るタイプだったとされています。IQ160を超える才女だったそうで、マリリン同様ジョン・F・ケネディやロバート・ケネディと肉体関係にあったとも噂されていました。

ミッキーは第二次世界大戦後ハンガリーからアメリカに移住しており、ボディ・ビルダーとして成功してからはハリウッドのオファーを受けるようになりアクション映画に出演。ショーにも参加し、それを見に来ていたジェーンがミッキーに一目惚れし、ウェイターに「ステーキと、(ステージを指差し)あの右の男性をいただくわ」と言ったそうです。

生後8ヶ月で両親は離婚

ジェーンとミッキーは出会ってすぐ交際を開始し、1958年にスピード結婚しました。ジェーンのビバリーヒルズの大豪邸、通称"ピンク・パレス"に住み、男の子2人を続けて出産。しかし、1963年に離婚を申請。メキシコでの申請だったため無効となり、2人は夫婦関係を修復しようと努力していた中、マリスカが生まれました。

マリスカは1964年1月23日に誕生しましたが、その8ヵ月後、両親は離婚。その後3年間、3人の子供たちは父と母の間を行き来する生活を送ったそうです。

その後、両親ともに再婚し、マリスカはミッキーの再婚相手に溺愛されながら育ちます。再婚相手は自分の子供を産むことはせず、ミッキーとジェーンの3人の子供たちに愛を注ぎ育てあげたのです。ジェーンも再婚相手に会った瞬間「あなたでよかった。ミッキーだけでなく子供たちにもとてもよくしてくれそうだから」と伝えたとか。

マリスカもこの継母のことが大好きで「とても感謝している」と、ことあるごとにインタビューで語っています。

母親の衝撃の死

60年代半ばになると、母ジェーンは映画の仕事が激減。ナイトクラブでパフォーマンスをする仕事を、いくつも掛け持つようになります。1967年夏、マリスカは2人の兄と共に母親と車に乗り、クラブ出演のため町から町へと移動する生活をしました。

6月29日、ミシシッピーからニューオリンズに移動中に濃い霧に見舞われ、運転手が前方トレイラーに猛スピードで衝突するという大事故を起こしてしまいました。運転手と助手席に座っていたジェーンは即死。後方座席にいたマリスカと兄2人も車内に閉じ込められてしまいました。

救助隊がまず兄2人を助け出し、救急車で搬送中、重体だった長男が「妹は?妹はどこ?」と言い、救助隊は再び現場に戻ったそうです。マリスカはぺしゃんこになった車に閉じ込められていましたが、幸い軽症ですみました。

当時マリスカは3歳。事故の記憶や、母を亡くしてどう思ったかなどの感情も一切思い出せないそうです。「覚えてなくて、よかったと思う」と彼女はコメントしています。

<次回は、演劇に目覚めたマリスカの初期の女優活動をご紹介します。お楽しみに!>