日本では、共演者キー・ホイ・クァンや姿を現さなかったトム・クルーズ、果てはアカデミー賞とは何の関係もない(実はあるのかも知れませんが. . .)ファン・ビンビンまで報道されているのに、ミシェル・ヨーの遂げた快挙を祝福する記事が見当たりません。私は、映画業界の人間ではない上、前年の映画をDVDで観るほど、最近すっかりご無沙汰しているので、アカデミー賞について蘊蓄を傾けるつもりは毛頭ありません。たまたま、今年アカデミー賞授賞式を放送したABC局から授賞式の写真がこれでもか、これでもかと送られて来たので、ビジュアルを添えて、ヨーの歴史的快挙を心から喜んでいる人間の一人として、私見を述べさせて頂きます。
映画「SAYURI」(2005年)で、異文化コンサルタントをした私は、リハーサルから撮影を通しておよそ半年に渡って、豆葉を演じたヨーのプロ根性、腰の低さ、リーダーシップ、弛まぬ努力、撮影班全員への気遣いを毎日、目の当たりにしました。エンタメ業界に転職して以来、数本の映画やドラマ制作の現場で働きましたが、「さすが、プロだな〜」と感心したのは、後にも先にもヨーしかいません。
リハーサル期間中は、毎日着物で歩き方や所作を学び、「悪いところはどんどん注意してね」と言うほどの勉強家振りに、頭が下がる思いでした。ヨーの場合は、英語が堪能なので、台詞を外国語で言わなければならない、他のキャストとは別格と言えば別格ですが. . .コールシートの筆頭人が撮影班のリーダーとなってまとめ役をするのが常識ですが、キャスト#1のチャン・ツィーにも#2の渡辺謙にもそんな余裕はありません。コールシート上では#3ですが、成り行き上、面倒見のよいベテラン女優ヨーにお鉢が回って来たような感じです。お昼に、ヨーが持参したアジア人の口に合うお惣菜の御相伴にあづかることもしばしばで、ヨーが調理した訳ではないにしても、気配りに感激したスタッフは私だけではありません。撮影が始まってからも、時々私の意見を求めては演技に反映するヨーは、「実るほど頭を垂れる稲穂かな」を体現する人でした。お茶の注ぎ方を実演した私に、「それは日本人のやり方。私のやり方で行くわ!」と啖呵を切ったツィーとは大違いです。(笑)更に、映画プレミアイベントで久し振りに会ったヨーから「メグのお陰で、日本人女性を演じられたわ」と感謝の一言を頂戴して、何度辞めようと思ったか知れないやり甲斐ゼロの仕事がねぎらわれました。きっとヨーが辿って来た長〜い道のりには、人間としてヨーを尊敬している人が山ほどいるに違いありません。今回の受賞は、ヨーの徳の賜物ではないでしょうか?
今年の主演・助演俳優賞は白人2人とアジア人2人(しかも60歳以上!)となった訳ですが、授賞式全般は「エブエブ」1本が、作品賞、脚本賞、編集賞、監督賞、主演女優賞、助演女優賞、助演男優賞を制覇し、歌曲賞を獲得した「ナートゥ・ナートゥ」の迫力あるダンス、受賞者M・M・キーラヴァーニ、チャンドラボース、短編ドキュメンタリー映画賞に輝いたカルティキ・ゴンサルヴェスとグニート・モンガ等のインド映画勢も加わって、例年よりアジア色の濃い式典でした。
しかし、23年のノミネーション発表後、#OscarsSoWhite第二弾!の声もあがっていました。#OscarsSoWhite(オスカーは白過ぎ)とは、2015年にノミネートされた20人の俳優が全員白人だった事実を指摘して、活動家/作家のエイプリル・レインが生み出したハッシュタグ。#OscarsSoWhite第二弾!は、主演女優賞にヴィオラ・デイヴィス(「女王」)、ダニエル・デッドワイラー(「ティル」)、監督賞にジーナ・プリンス=バイスウッド(「女王」)、ジョーダン・ピール(「NOPE/ノープ」)がノミネートされなかったと不平不満を発信する黒人アーチストやジャーナリストの言い分です。
エミー賞でも毎年、同様の非難が殺到しますが、全ての擁護団体の要求やメディアの批判に耳を傾けていたら切りがありませんし、どの作品/俳優に投票するかは会員各自が決める事です。因みに、2015年のオスカー受賞候補者の8%が有色人種(非白人)でしたが、今年は17%になりました。俳優部門だけを見ると、候補に上がった俳優20人の内、非白人は7人=35%です。米国の人口調査では、40%が非白人のマイノリティですから、今年は現状にかなり近づいたことになります。
にも関わらず、今年も#OscarsSoWhiteと批判する人は、もしかしたら黒人のみが非白人だと思っているのでしょうか?有色人種は黒人のみに非ず!今年は、アジア勢の番だったと考える訳にはいかないのでしょうか?#OscarsSoWhiteとは、そんな度量の狭い運動なのですか?2017年には、バリー・ジェンキンズの「ムーンライト」が作品賞に輝き(舞台での擦った揉んだを覚えていらっしゃいますか?)、21年はダニエル・カルーヤが助演男優賞を獲得、22年の前代未聞のビンタ劇で自らのキャリア、やっと手にしたオスカーやアカデミー賞自体にけちをつけたウィル・スミスがいるではありませんか?
2012年にロサンゼルス・タイムズ紙が発表したアカデミー会員の人種や年齢等の内訳特集記事によると、投票権を持つ(12年当時の)会員5,765人の内、94%が白人、黒人は2%、ヒスパニック系はそれ以下、又77%の会員が男性でした。#OscarsSoWhite運動は、映画芸術科学アカデミー組織自体に大改革を迫りました。2015年には女性会員は25%でしたが、23年には34%に増加、有色人種会員は全体の8%から19%と2倍以上を記録しています。
今回の「エブエブ」圧勝は、アカデミーが人種・性別・年齢の多様性(ダイバーシティー)を達成すべく新たに入会を許可した若年層、グローバルに活躍するアーチスト達のお陰ではないかと思います。業界のベテランと言えば聞こえは良いものの、伝統的にドラマ以外のジャンルモノを嫌う高齢会員(=デジタル・イミグラント世代)が、異次元間アクション映画を観ることはおろか、一票を投じるとはとても思えません。
ダイバーシティーは会員の選択で達成した今、授賞式でインクルージョン(組織内の多様な会員が個性を認め合った上で参画する機会があり、組織として一体感がある状態)を押し進める姿勢を提示しようと試みた努力も伺われました。
今年のプレゼンターは、例年の如く前年度の受賞者、ノミネートはされなかったものの、快くプレゼンター役を引き受けた俳優、ディズニー傘下の会社が制作した映画に出演した俳優、更に所謂国際俳優として世界的に知名度の高い人などでした。放送局ABCは、ビジネス面を重視して人選し、アカデミーは受賞者側に欠けるダイバーシティーをプレゼンターで補い、インクルージョンに向かって努力しています!と主張しました。
尤も、どう考えても理解できない不可解な人選もあります。ミンディ・カリングとジョン・チョーです。既に、国際女優ディーピカー・パドゥコーンが登場しているのに、それでも尚インド人ノルマを満たす必要があるなら、かつてABCの「クワンティコ/FBIアカデミーの真実」(2015〜18年)で起用した絶世の美女プリヤンカ・チョプラ・ジョナスがいるではありませんか?「マダム・マロリーと魔法のスパイス」(2014年)のマニッシュ・ダヤルでも、チョーよりは、ディズニーと縁が深いのではありませんか?
授賞式開始後間も無く、司会者ジミー・キンメルは、スムーズな進行と観客や我が身の安全を祈り、「狂態を演じた方には、主演男優賞を授与し、19分に渡る受賞スピーチをして頂きます」と、会場の笑いをとりました。妻ジェイダ・ピンケット・スミスの名誉を守るべく、プレゼンターのクリス・ロックにビンタを喰らわせたウィル・スミスの暴力沙汰と、喉から手が出るほど欲しかったオスカーを手に、延々19分も受賞スピーチをした傲慢な態度をやんわり非難しました。更に、「万が一、今晩暴力を振るう人がいても、去年と同じように行動して下さい。座ったまま何もしないで下さいね」と、乱暴を働いたスミスに退場を命じるどころか、最後まで参加を容認した挙げ句の果てに、オスカーを授与し、支離滅裂の言い訳スピーチに耳を傾けたアカデミーの優柔不断、不甲斐無さを揶揄しました。噂によれば、スミスを弄るジョークは山と用意していたキンメルですが、前進あるのみ!のアカデミーにほとんど削られ、キンメル特有の「やんわりジョーク」のみが放送の運びとなりました。お陰で、延々4時間に及ぶ授賞式は滞りなく終了しました。
しかし、ビンタ事件はアカデミーが望むほど過去のことではありません。スミスは向こう10年間、アカデミー賞授賞式やアカデミー主催のイベントから締め出されはしましたが、「ドリームプラン」で手にしたオスカー像は剥奪されませんでした。ビンタ劇直後には、次々とプロジェクトが打ち切られたものの、復帰作第一弾「自由への道」は、全米黒人地位向上協会(NAACP)のイメージ賞とアフリカン・アメリカン映画評論家協会(AAFCA)のビーコン賞を獲得し、黒人の間では、何をしても許されるスター*であると証明しました。つまり、キャンセルを免れたどころか、やる事はやったし、獲るものは獲った、これからは我が道を行く!と言わんばかり、弄りなんてどこ吹く風です。
*何をしても許されるスターは、最近「五番街説」と呼ばれるようになりました。2016年、大統領選挙日を控えてアイオワ州で「フィフスアヴェニューの真ん中で誰かを撃っても、支持者を失うことは無いよね?信じられないことだけど. . .」とうそぶいたトランプの信じ難い論理を「五番街説」と称します。
ビンタ事件直後に、コメディアンのティファニー・ハディッシュは、「奥さんを守る為なんて、素敵じゃない?あんな風に守ってもらった事ないわ」と、妻の名誉を守るために決闘を申し出た騎士道精神の表れであるかのように、褒め称えました。えー、ちょっと、ちょっと。ジェイダは、夫に守ってもらわなければ生きて行けない、か弱い女には見えないと言うか、逆に、スミスより強そうですよ。ロックの「G.I. ジェーン」のジョークを聞いて、スミスは笑っていましたが、次の瞬間には、花道をロックに向かって直進する姿が映し出され、あれよあれよと言う間に、平手打ちが飛びました。一旦笑ったものの、ジェイダの「又、始まった!」的嫌〜な顔を「あんな事言わせておいて良いの?」と読み取ったスミスが、勇んで席を立つに至る数コマのシーンが抜けているのではないかと思います。私の推理を証明する映像はどこにも存在しないようですが、もし機会があれば、ハリウッド有数のパワーカップルの後ろで一部始終を目撃したルピタ・ニョンゴに聞いてみたいと思います。
未だに、ウィル擁護派、ジェイダ支援派、クリス擁護派(主にコメディアン仲間が圧倒的に擁護)と三分している忘れ難いビンタ劇ですが、妻の名誉や家族を守るための高貴な行動だとは思いません。映画業界最高峰の祭典に、主演男優賞の最有力候補として最前列に陣取ったドル箱スターが、「今スターとして如何なる行動に出るべきか?」「夫・家長として何が求められるのか?」を瞬時に弾き出して、暴力を振るった上、罵詈雑言を浴びせかけるに至った、有毒な男らしさの表現に他なりません。騒動から間もなく、息子ジェイデンが発信したツイート「あれがスミス家の流儀さ」(=ざまあみろ)で、御里が知れたと言うものです。
暴力に訴えて、自分の力を顕示した後、悪びれもせずアフターパーティーでハメを外すスミス一家(尤も作り笑いするウィル以外は、仏頂面ではい、ポーズ!ですが)を見ると、何度謝罪しても、又何かほざいているな〜程度にしか受け止められません。謝っている振りをして、実は巧みに言い訳をまくし立てて煙に巻く、トランプ政権の立役者から教わったに違いないニセ謝罪だからです。しかも、謝る相手が違うと誰も指摘しないことに腹が立ちます。ビンタを食らったロックが被害者ですが、ロックがプレゼンターとして起用された長編ドキュメンタリー賞を受賞したアミール・’クエストラブ’・トンプソン監督(「サマー・オブ・ラブ」)が、最大の被害者だと思います。今年、プレゼンターとして登場したトンプソンは、どう足掻いてもあの感激の一瞬を再現する事は出来ません。一旦、奪われた瞬間は、もう二度と戻ってこないからです。後先考えずにスミスがとった自分勝手な行動は、「ドル箱スターだから何をしても許される」的権力の濫用であり、「叩き上げの俺様に白人社会は借りがある」的被害者意識の現れでもあります。
受賞者が誰になるか分からないのに(主催者側も知らないんですよね?)、後味の悪かったビンタ劇の正反対の祭典にしようと企画する事は出来ませんから、たまたまこんな結果になったのでしょうが、今年はまるで謙虚な努力家集団が表彰されたような、それはそれは和気藹々、世界は一つ、人類皆兄弟のような祭典でした。あっ、そう言えば助演女優賞をカーティスに盗られたとムカついている方がいましたね〜。
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◇Meg Mimura: ハリウッドを拠点に活動するテレビ評論家。Television Critics Association (TCA)会員として年2回開催される新番組内覧会に参加する唯一の日本人。Academy of Television Arts & Sciences (ATAS)会員でもある。アメリカ在住20余年。