2月7日付けの「23年春の新ドラマはリブート/スピンオフ/続編のオンパレード」でご紹介した「危険な情事」続編が、去る4月30日に、1〜3話までParamount+で配信開始となり、5月28日に最終回を迎えました。1月9日に開催された制作発表パネルインタビューで、クリエイターを初め、キャスト全員が声を大きくして語った#MeToo思想を反映した筋書きだったか、何よりもリジー・キャプランが指摘した「メンタルヘルスに造詣の深いグレン・クローズが切望したアレックスの視線」で描かれていたかを考察してみました。
1987年度の世界興収でトップの数字を樹立し、好評をはくしたサイコ・スリラー/ロマンス・ホラー映画「危険な情事」を観たことがなくても、不倫に警鐘を鳴らす内容であることは、タイトルだけで一目瞭然です。私の記憶では、マイケル・ダグラスが演じたキャラには、浮気のしっぺ返しはほとんどないばかりか、常軌を逸したサイコキラーに堂々と立ち向かって家族を守り抜いた一種の英雄として描かれていました。何しろ、#MeToo思想など想像だにしなかった36年前の映画です。ダン・ギャラガー弁護士は、伝統的にまかり通ってきた「浮気は男の甲斐性」を地で行く男尊女卑丸出しの白人男性特権階級キャラでした。グレン・クローズが演じたアレックス・フォレストが、火遊び好きなデキる女(=キャリアウーマン)の走りで、ストーカーに豹変しなかったら、後腐れのない一夜の出来事で終わり、平和な家庭を脅かす大事には至らなかった筈。降って湧いたような災難の「被害者は俺様!だ」と言い張りそうな、パワハラ、セクハラなんて、朝飯前って感じの男の中の男として描かれました。
ダンの心ない暴言や無視、暴力の挙句、「私、泣き寝入りはしないからね。あなたが責任に目覚めるまで私は諦めないわ」の悪名高き捨て台詞と共に、ストーカー行為に出たアレックスが一方的に悪いと責められ、無節操な’発展家’には何のお咎めもなかったのは、不公平としか言いようがありません。猛反対した最終シーンが選ばれた為、有毒な男らしさを鼓舞する男尊女卑丸出しの映画になってしまったことに失望し、「いつかアレックスの心の病や生い立ちを深く掘り下げて、アレックスの立場から語る『危険な情事』が生まれることを願って止まない」とクローズは公言しています。
「危険な情事」続編シリーズは、舞台をLAに移し、アレックス・フォレスト(リジー・キャプラン)を殺した罪で服役していたダン・ギャラガー(ジョシュア・ジャクソン)が、15年の刑期終了前に身柄を解放された2023年から始まります。親の七光りで出世街道まっしぐら、若干40歳で判事に昇格かと言う飛ぶ鳥を落とす勢いのあった元LA郡検事も、10年余りのムショ暮らしで、今は見る影もありません。お先真っ暗の前科者は、疎遠になった娘エレン(アリッサ・ジレルズ)との関係を修復することに全力を注ぐ一方、アレックス殺害の真犯人を割り出して無実を証明しようと、元仕事仲間マイク・ジェラード(トービー・ハス)と新たな容疑者捜査に奔走します。
運命の出逢いは、15年遡った2008年。被害者支援部で最近働き始めたアレックスの目に留まったのは、LA郡裁判所を意気揚揚と闊歩するギャラガー検事です。公私共に順風満帆のダンは明らかに「高嶺の花」ですが、思い込んだら命がけとは、正にアレックスのこと。この日から、赤外線追跡型対空ミサイルのように、ダンに攻撃目標を絞り込み、「この人しかいない!逃してなるものか!」とダンを理想の男に祭り上げて崇めます。ダンが象徴する理想の人生を本人もろとも、自分の物にしてしまえば、自分も幸せな普通の生活ができると確信してのことです。
想いを寄せる人の気を引こうと、手の込んだ嘘や顔から火が出るような工作をしたことは誰にでもある筈(なかったら、失礼!)ですが、アレックスの’運命の出逢い’を演出する手の込んだ小細工や、赤面の至り!的破廉恥な行動は半端ではありません。レストランで雨を降らせたアレックスに、「えー、そこまでやっちゃいます?!」と開いた口が塞がりませんが、これって、どこかで見た覚えが. . .と頭に浮かんだのは、異色ミュージカル・コメディー「クレイジー・エックス・ガールフレンド」(2015~19年)の主人公レベッカ・バンチ(レイチェル・ブルーム)です。映画は元より、続編(リメイク)シリーズでもアレックスの心の病は明確にされませんが、レベッカが境界性パーソナリティ障害(略してBPD)の診断を下された所を見ると、アレックスも物事を白か黒かでしか判断できず、両極端に振り回されて、常に生き辛さや虚しさを感じるBPDなる精神障害を患っていると分析しました。
「ワレモノ!取扱注意!」のラベルがついていれば話は別ですが、BPD患者に接したことがなければ、些細なことに逆上したり、平気の平左で違法行為に走るアレックスの狂気の沙汰は理解に苦しむこと間違いなしです。冷静沈着/聡明/まともな人間を装うアレックスですが、心の底では親にかまって欲しい反面、こんな自分にした親を許せない!と恨む、白か黒かの判断しかできない上、幼い頃に両親から心理的虐待を受けた上で(心理的にも)見捨てられたため、捨てられることや孤独を何よりも恐れています。捨てられることを避けるためには、なりふりかまわない努力をすること、いつも全力投球するのが、この精神障害の特徴です。信頼を全力投球して、崇めるほどダンを理想化して過度の期待を寄せた結果、些細なことに幻滅して、最高の男から最低な奴に位下げ、「何もかもぶち壊してやる!」と復讐の念に燃えるほど、極端から極端に走る悪い癖があります。
見捨てられそう!非難されてしまった!と感じると、BPD患者は「期待/要望のブラックホール」と化し、相手の言動を独善的に曲解して、妄想にしがみつきます。狂言自殺を図ったアレックスの謝罪を受け止めた後、何を思ったかダンは暖かく別れの抱擁をしてしまいます。冷たく突き放さなかったことを別れたくないという暗示だと曲解したアレックスは、「私、泣き寝入りはしないからね。あなたが責任に目覚めるまで、私が諦めないわ」との名言を吐いて、ストーカー行為に走ります。妻子があると知りながら、横恋慕に身を焦がすこと自体が問題なんですが. . .
過去(2008年)と現在(2023年)を行きつ戻りつしながら、黒澤監督の映画「羅生門」式語り口=複数のキャラの観点で描く「危険な情事」続編シリーズは、嘗て私がハマっていた「アフェア〜情事の行方〜」(2014〜19年)を彷彿とさせます。「アフェア」で、妻アリソン(ルース・ウィルソン)に裏切られたコール・ロックハートを演じたジャクソンが、アリソンを奪った不良中年男ノア・ソロウェイ(ドミニク・ウエスト)の役を演じるのは、何とも不思議なめぐり合わせです。クリエイターのアレクサンドラ・カニンガムが、「『アフェア』を観て以来、ジャクソンを起用することを夢見ていた」と述べた程の入れ込みようです。「アフェア」のキャラの中で、ノア台風の爪痕を癒しきれなかったにも関わらず、自分探しの旅に出てアリソンに永遠の愛を誓えず仕舞いで終わってしまったコールだけが、反省して学習できる誠実なキャラだと私は思います。
だからと言う訳ではありませんが、本続編シリーズでジャクソンが演じるダンが、親の七光りを蹴落とそうとする検事局の同僚・部下や刑事(=「浮気は男の甲斐性」を具現化した無節操なキャラの面々)や職場の事件関係者から忌み嫌われ、真犯人捜査への協力を拒まれ、キャンセルされた上に面と向かって罵詈雑言を浴びせられると、救いの手を差し伸べたくなってしまいました。又、犯罪捜査ドラマ仕立てになっているので、アレックスの本性を見たにも関わらず、敢えて証言台に立つことを拒んだ元カレや、アレックスに恐喝されてそそくさと夜逃げした胡散臭い隣人等が次々に登場しますが、ダンには同情のかけらも見せません。ダグラスが演じたダンほど発展家ではなく、無実なのに10年もムショ暮らしをして何もかも失ったジャクソンが演じるダンが支払った不倫の代償は余りにも大きかったし、一時の気の迷いに不釣り合いな代償を今後もずっと払い続けるであろうと考えると、ダンがかわいそうになって来ます。この徹底的なダン叩きが、#MeToo思想を反映した筋書きなのでしょうか?
妻子ある身で非日常に誘う女と関係を持ってしまうのは、品行方正を掲げる検事には決して得策ではありません。偶々、喉から手が出るほど望んでいた昇進の鼻を折られて、人生の折り返し地点で「自分はこれで十分なのか?」と問いかけてカオスに陥り、そこに運悪く(?)現れた「手を出すと危ない女」に誘惑されて、魔が差してレールを踏みはずしただけなのです。判事だった父親に追い付け追い越せと必死で働いてきたものの、ダンは「大した人間ではない」と幼い頃から植え付けられた劣等感の塊で、人生最大の挫折を舐め尽くす負のスパイラルに巻き込まれて、あっと言う間に奈落の底に落ちたのです。これは、自己充足的予言という厄介な心理で、順風満帆の半生を送ってきた人でも、内心で失敗を恐れて怖々生きていると、どれほど自信満々を装っても、無意識のうちに、失敗に向かってまっしぐら!と言う自己暗示にかかったようなものです。ダンの自己充足的予言がもたらした中年の危機と、アレックスのBPDが混じり合って化学反応を起こした結果、想像を絶する悲劇が生まれてしまったのです。確かに、運命の出逢い!だったのです。
第7話で、アレックスの悲惨な生い立ちを目にする頃には、既に映画以上の犯罪を犯していて、BPDを患うようになった経緯に同情はしても、クローズが長年待っていたアレックスの視点から描いたドラマには仕上がっていません。喧嘩両成敗ではなく、ダンが同情を集めた分、アレックスの株は底値をついた感があります。但し、「危険な情事」続編シリーズは、アレックスの復讐と勝利欲を満たす妄想実現の役目だけは果たしたと言えます。ギャラガー一家は、どう逆立ちしても、2008年の幸せな家族には戻れないからです。ダンは、前科一犯で、無実が証明されない限り、弁護士の資格を取り直すことも、故にまともな給料を期待できる、まともな職業に就くこともできません。あらゆる意味で人生の後半はお先真っ暗!です。再審も期待薄で、何を楽しみに生きていけば良いのでしょう?アーサーと再婚したベスは、悟りへの道を進む聖人(しょうにん)同様で、今以てダンの無実を盲信する余り、薄気味悪いほどの静寂の裏に、途轍もない怒りと哀しみを隠しています。例え、魔が差しただけとは言え、自分を裏切った夫をあれほど盲信するのは、心の狭い人間には全く理解できません。そして、エレンは自己開示しているように見えますが、決して心を開いている訳ではなく、家庭崩壊に導いた父親に恨み辛みをぶつけることもなく、無実の証明に奔走する父親を応援します。殊勝と言うか、何と言うか、エレンに現実味を感じないのは私だけでしょうか?そして、究極の落ちは. . .エレンの変身ぶりで、いずれダンが体験するであろう「身から出た錆」の象徴です。
映画と続編シリーズの大きな違いは、下記の三点です。
1)ダン、アレックス、ベス、エレン、ベスの親友/現在の夫でもあるアーサー等、複数の観点から不倫の波紋を描く
2)ダンが生まれて初めて味わう挫折に端を発した中年の危機につけ込んで、思いのままにダンを操ろうとしたアレックスの横恋慕と狂気の沙汰を深く掘り下げる
3)不倫に始まったダンの失態や裁判の最大の被害者エレンが受けたトラウマが大人になってどのような形で姿を現わすかを描く
いずれ日本でも配信されると思うので、ダンとアレックスの思惑のすれ違いや中年の危機対BPDはご報告しましたが、アレックス殺害の真犯人と、最終話でクリフハンガーとして使われた年頃の娘エレンへの影響は敢えて明かさない事にしました。但し、本シリーズは情報過多(TMI = Too much information)の傾向にあるので、聞き逃すとヤバイ情報と、聞き流しても本筋には差し障りのない情報の取捨選択(篩に掛ける)ができず、雪崩に巻き込まれたような極度の疲労感を感じました。映像は見せる媒体ですから、ダンやアレックスの心情を、エレンのユング心理学で語り聞かせるのは明らかにルール違反です。又、ライター同士のコミュニケーションが皆無だったのかと疑う程、語り口もトーンも毎回異なり、違和感無くして観る事ができないのも難点です。私は、3回観直してやっと、映像と音声情報を全て消化できましたが、毎回、これ聞き取れてなかった!とか、あれは誤解だったんだ!と新しい発見がありました。一見の価値は十分にありますが、一見だけでは100%理解できないドラマと言うのも、珍妙には違いありません。
ハリウッドなう by Meg ― 米テレビ業界の最新動向をお届け!☆記事一覧はこちら
◇Meg Mimura: ハリウッドを拠点に活動するテレビ評論家。Television Critics Association (TCA)会員として年2回開催される新番組内覧会に参加する唯一の日本人。Academy of Television Arts & Sciences (ATAS)会員でもある。アメリカ在住20余年。