過去にもマーベル映画を批判したマーティン・スコセッシが、再びアメコミ映画について批判的な見解を述べた。
『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』が控えるマーティン・スコセッシ監督(過去に『タクシードライバー』『ウルフ・オブ・ウォールストリート』など)が、アメコミ映画に対して「反撃しなければならない」と発言。スコセッシは過去にもマーベル映画に対して「映画ではない」と発言し話題を呼んだことがある。
映画を「ああいうもの」でしかないと考える世代に危機感
25日に掲載されたGQ誌のインタビューで、アメコミ関連のエンタメ産業に関して語ったスコセッシは、「それ(アメコミ映画)が我々の映画文化に及ぼす影響が危険なんだ。なぜかというと、『映画』をああいうものでしかないと考える世代がこれから出てくるからだ」と、アメコミ映画の人気が映画文化自体のイメージを支配してしまうことを危険視した。
続けてスコセッシは「彼らはすでに(映画はああいうものだと)思ってしまっている。だから我々はより強く反撃しなければならないんだよ。そしてその反撃は草の根レベルからのものでなければならないし、映画人たち自身から生んでいくものだ。映画界にはベニー&ジョシュア・サフディ兄弟や、クリストファー・ノーランがいる。全方面からアメコミ映画を攻撃していくんだ。諦めずにね。外に出て、みんなができることを見せていこう。改革していこう。それに対して文句を言ってほしくない。私たちは映画を救わなければならないんだからね」と、映画を救うために立ち上がる必要性と、強い意志を示した。
「産業的に作られたコンテンツは本当の映画ではない」
「どんな映画が作られたっていいんだよ」「シリアスである必要はない。たとえば『お熱いのがお好き』だって映画だ」と映画の無限の可能性は肯定するスコセッシ。だが彼個人としての意見は「それでも僕は、産業的に作られたコンテンツを本当の映画だとは思えない」と、映画が作られる目的に関して持論を展開。
「言いたくはないけど、あれら(アメコミ映画)は産業的なコンテンツだ。AIが作った映画みたいじゃないか。すぐれた監督たちがいることや、素晴らしい美術や特殊効果を否定する気はないけど、でもあれらの映画に何の意味があるのかな。あれらの映画が君に何を与えてくれる?何かを消費して、それを頭や身体から排除するような体験はあるとして、それ以外に何か得られるものがあるかな」と、“伝えること”を重要視するスコセッシにアメコミ映画は波長が合わないようだ。
何かを伝えられないなら、映画を撮る意味がないという信念
スコセッシはまだまだ今後の映画作りを楽しみにしている。「僕は新たなやり方を楽しみにしているんだ」「ここまで来れた。これが私の仕事。それだけなんだ。そして、もし神が許すならあと2、3本か、もしかしたらもっと、映画を作るエネルギーを奮い立たせられれば、それでいい。それが僕のできること。できなくなるまで続けるのさ」とまだまだ衰えない映画作りへの情熱を見せた。
「でも僕が言いたいのは、映画作りでは自分の頭蓋骨と内臓を引き裂いてさらけ出す必要があるということ。これまで人生を経験した時点で、自分が本当に感じて、本当に伝えるべきことが何なのかを見極めて、映画で何かを伝えなければならない。そうでないなら作る意味がないだろう。映画は何かを伝えなければならないんだよ」と、最後まで“その映画にしか伝えられないこと”に重きを置くスコセッシだった。
マーティン・スコセッシ監督の最新作『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』は10月20日から公開だ。
【動画】『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』 10月20日公開
フリーライター(tvgroove編集者兼ライター)。2019年に早稲田大学法学部を卒業。都庁職員として国際業務等を経験後、ライター業に転身。各種SNS(Instagram・X)においても映画に関する発信を行いながら、YouTubeチャンネル「見て聞く映画マガジンアルテミシネマ」にて映画情報・考察・レビュー動画などを配信したり、映画関連イベントの企画・運営も行っている。