*本コラムには映画「トイ・ストーリー4」のネタバレが含まれています。ネタバレ気にしない!という人もできれば、映画を観てからまた読みに来てください。またここに書いてあることは、私が映画を観た上で感じたことや、いちディズニーオタクとしての意見なので、こんな見解もあるんだくらいの軽い気持ちで読んでください。
「トイ・ストーリー」といえば、ディズニー/ピクサー作品のなかでも、もっともファンの多い映画の一つ。「トイ・ストーリー3」では、おもちゃの持ち主アンディと相棒ウッディの別れが描かれ、悲しいながらに感動が止まらない最高傑作でした。
そして、9年後となった2019年、ついに「トイ・ストーリー4」が公開。楽しみに待っていた人も多いのではないでしょうか。私は前作で最高のエンディングを迎え、完結したと思っていたのでどんなストーリーになるのか本当に楽しみでした。
しかし、想像もしていなかった衝撃の結末が待っていました・・・。この結末には賛否両論あるみたいです。確かにファンにとっては、衝撃的な展開すぎて受け入れたくない気持ちがありますよね。でも私はとてもいい映画だと感じました。
しかし、ツイッターを見ていたら「この作品はなかったことにしたい」といった、とても悲しいコメントを見つけてしまいました。少しでもそんな気持ちの人を減らしたいと思ったので、私なりに「トイ・ストーリー4」を通してピクサーが伝えたかったメッセージを読み取ってみました。
ボニーはなぜウッディを無視する?
まず、「トイ・ストーリー」が大好きなディズニーオタクとして言いたいのが、新しくウッディたちおもちゃの持ち主となった女の子ボニーがなぜ“ウッディだけ”を無視するのかです。ボニーは、バズやジェシーといった他のおもちゃとは遊んでいますが、ウッディだけはなぜか蚊帳の外。クローゼットの中に取り残されます。正直、ウッディに対する扱いを見ていると心が痛かったです。
ウッディは前の持ち主アンディにとって、とても大切な存在(おもちゃ)で、大学にまで持っていこうとするほど思い入れがありました。前作のラストでは、ウッディをボニーに渡すのを一瞬ためらっているシーンもありました。
しかしアンディは自分より、ボニーのほうが相応しいと思って、ウッディを渡します。それなのに、ボニーはもうウッディと遊んでくれない(涙)。なんで??と思ったんですが、映画が進むにつれて徐々にその答えが見えてきました。映画の制作者は、あえてウッディがボニーになじまない様子を描くことで、「ウッディはやっぱりアンディのおもちゃなんだ」ということを強調したかったのではないかと思うのです。
本編でも、ウッディは何度かボニーを“アンディ”と言い間違えていました。そこにはウッディの本心、つまり「自分はアンディのおもちゃなんだ」という気持ちが表れていたのだと思います。
フォーキーはボニーのゴミ
今作で初登場したフォーキー。フォーキーはボニーが初めて幼稚園の体験レッスンに行った際に作った先割れスプーンです。(実際は、不安そうにしているボニーを助けるため、ウッディが用意した材料を使って作りました)
フォーキーはボニーにとって幼稚園で初めてできた友達です。そのため、ボニーはフォーキーのことが大好きになります。
しかしフォーキーは、自分の存在価値が分からず「自分はゴミだ」と思い込み、ボニーの元から逃げ出そうとします。これは、どこか私たちにも共感できる部分かもしれません。人間、生きていれば自分のことを「ゴミ」のように価値のないものだと感じてしまうこともきっとあると思います。でもボニーにとってフォーキーが大きな存在であるように、私たちも誰かにとっては重要な存在なんです。
最終的にフォーキーは自分を「ボニーのゴミ」だといい、自分を受け入れた上で自身の存在価値を見つけます。(ここでも、ウッディが根気強くフォーキーに熱弁してやっと納得してくれるんです・・・ウッディって偉大・・・)
ボー・ピープの存在
今作でウッディの恋人ボー・ピープが再登場。しかも、主要キャラクターとして今までの作品以上に大活躍します。
ボーは、ウッディたちの前の持ち主アンディの妹の部屋にあったランプ飾りの羊飼い人形で、「トイ・ストーリー」「トイ・ストーリー2」に登場していました。「トイ・ストーリー3」では姿を消していました。
そんなボーは持ち主がいなくなったことで、自立し新しい生き方を見つけていました。しかし、長年誰かのおもちゃとしての役割があったウッディは、彼女の新しい生活がなかなか理解ができません。自分が同じように“迷子のおもちゃ”になることを恐れています。
ウッディは逃げ出したフォーキーと一緒に必死にボニーのもとへ帰ろうとしますが、自分の意志で、とても活き活きと楽しそうに生活しているボーの姿を見て、ウッディの気持ちに変化が生まれます。
ウッディは、自分はボニーのおもちゃではなく、アンディのおもちゃであるということに気づいたのです。
しかし、ウッディはもうアンディに会うことはできません。アンディのおもちゃとして彼の傍らにいるという自分の任務はすでに終わっていたからです。
ウッディは、自分の意志に従って新しい生活を始める決意をします。ウッディは、ボニーのおもちゃとしての任務をジェシーに託すべく保安官バッチを渡します。泣ける。
バズとウッディの友情
映画の途中、フォーキーは自分は価値のないゴミだと主張し、何度もボニーのもとから逃げ出します。それをウッディが必死に止め続けます。
それを見ていたバズはウッディになぜボニーのためにそこまでするのかと聞きます。その時、ウッディは自分の心の声がそう言っているからだと答えます。
その後、ウッディがフォーキーを捕まえるため他のおもちゃと別行動しているとき、バズは自分の心の声を聞こうと胸のボタンを押し、聞こえたセリフを頼りに行動します。バズはウッディのように「心の声」が聞こえないため、いちいちボタンを押して確認しているんです。
しかし、そんなバズでも20年連れ添った相棒であるウッディの心の声は分かるみたいです。ウッディがボニーの元へもどろうかどうか躊躇しているとき、バズはウッディに「彼女なら大丈夫(She will be fine)」と伝えているんですね。
これは、ボニーにはウッディが不要だという意味ではなくて、彼女にはバズたちが付いているからきっと大丈夫、心配しないでという意味です。ウッディとバズの強い絆が見て取れるこのシーン、めっちゃ泣きました。
ウッディがボニーや仲間たちの元を離れた意味
先ほども、少し触れたんですが、ウッディがボニーのもとへ戻らなかったところに、ピクサーが本作を通して伝えたかったメッセージがあるのではないかと思いました。
ウッディはずっと「迷子のおもちゃ=可哀そうなおもちゃ」だと思っていました。彼は勝手に「おもちゃは誰かのものでなければいけない」という使命感にかられ奮闘していました。しかし、そんな自分が本当の“迷子のおもちゃ(心が迷子になっていた)”だったんだと気が付きます。
そこで、ウッディは自分の気持ちに素直になり、ボーの元に残ることを決意します。きっとここでは、ピクサーは「人と違う道を選ぶこと」の難しさ。そして、それは決して悪いこと・可哀そうなことではない。人それぞれの幸せの形があり、それを決めるのは自分だということを伝えたかったのではないでしょうか。
映画の最後にバズが「ウッディは迷子じゃないよ」と言っているのも、きっとそういうことなんだと思います。
また、意外にさらっと仲間たちとの別れを描いているのは、それぞれの生き方を否定しないため。本来のおもちゃとしての生き方をするバズたち、そして新しい道を選んだウッディたち、その両方の生き方を肯定しているのです。
トム・ハンクス(ウッディ役)は本作についてどう思う?
4作に渡ってウッディの声を担当してきたトム・ハンクスはインタビューで、ファンの大きな期待を背負いながら、これまでのトイ・ストーリーとは違って、より壮大なテーマを扱ったピクサーについてこう話しています。
「人間であることが何であるかについて、おもちゃを通して教えたいと考え、それを実現したピクサーのイマジニアたちは本当に素晴らしいし、脱帽だよ」(トム・ハンクス)
これまでの作品ではそれぞれおもちゃとしての視点で、様々なストーリーが描かれていました。しかし、今作は過去の作品に比べてもより人間的で、共感する部分や学ぶことが多く感じました。
正直、私はウッディはいつかはアンディの元に戻る、と信じていたので少し悲しい気持ちはあります。それでも、ウッディの大きな決断に勇気づけられ、フォーキーの姿を見て元気をもらいました。やっぱりディズニー/ピクサー大好きと思える素晴らしい作品でした。
『トイ・ストーリー4』
大ヒット公開中
ウォルト・ディズニー・ジャパン
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Shaine(シェーン)プロフィール:
1996年埼玉県生まれ。幼い頃からディズニー映画が大好きで、ディズニーチャンネルや海外のドラマをよく見ていた事がきっかけで、海外エンターテイメントに興味を持ち始めました。大好きな音楽、ファッションやメイクアップの知識を活かして、ライターとして活動しています。