※このコラムには「アフェア~情事の行方~」についてのネタバレがあります。
「アフェア~情事の行方~」最終回は、2019年11月3日に放送され、5シーズンに渡るドラマが幕を閉じました。何不自由なくわがままに育ったヘレン(モーラ・ティアニー)と結婚して、労働階級から一挙にのし上がったものの、己の能力の限界、夢を叶えていない失望や後悔、既に富を築いた友人への嫉妬と劣等感など、いわゆる中年の危機に突入したノア(ドミニク・ウエスト)が、ウエイトレスに一目惚れして、家族を捨てる不倫の波紋を描いたドラマでした。最終回では、散々振り回したヘレンや4人の子供には許されて、ノアは元の鞘に収まってしまいます。一方、不良中年ノアに翻弄された挙げ句の果て、新たな生き方をしようと決意した矢先に殺されてしまったアリソン(ルース・ウィルソン)と、アリソンに先立たれ、泣く泣く愛娘を男手一つで育てたコール(ジョシュア・ジャクソン)は、悪者にされてしまい、何とも腹立たしい終わり方でした。
前回「風の勇士 ポルダーク」の終焉に失望したことをご報告しましたが、「アフェア」には怒り心頭に発し、数行書くとムカムカして前進できず、2ヶ月余り経ってしまいました。心理分析が三度の食事より好きな私がすっかりハマっていた、昨今珍しい大人の心理ドラマだと信じていただけに、あの生半可で後味の悪い’完’では、ノアの被害者アリソンとコールが浮かばれません。ヘレンやノアより、後悔、反省能力があるコールには、台風ノアの爪痕が癒えた余生を送って欲しいと密かに願っていたからです。
しかし、オンライン紙TV Landのアンケートでは、視聴者の反応は極めて好意的で、私のようにムカついているファンもいる事は間違いないものの、ごく少数派と判明しました。
絶賛! 57%
良好! 26%
こんなもの? 11%
がっかり! 3%
許せない! 3%
同TV Landの「検死」コラムで、11月3日と4日付けでクリエイターのサラ・トリームが、最終シーズンについてのインタビューで数々の謎解きをしています。「検死」コラムというタイトルが物語っているように、視聴者には意味不明なクリエイターの意図や設定を語り、映像からのみでは計り知れない舞台裏を、長々と説明しています。つまり、映像のみからでは「ハーッ?」と首を傾げた箇所を説明する必要があったという事です。放送後、説明を加えないと真意が伝わらないのは、放送作家として失格ではないでしょうか?
トリームは、「アフェア」創作当時知り合いだった男性数人を組み合わせて’不可解なノア’を生み出し、「こいつ、何なの?!と思わせるキャラが、最も好奇心を駆り立てるもの」と述べています。このドラマの’完’は、ノアの大ファンと断言したトリーム以下ライター達が、欠陥人間ノアに宛てた恋文だったと理解すれば、説明がつきます。最初と最終シーンを、ノアの映像で纏めたことも「このドラマは、元を正せば、ノアの一生を描いたものですから」とか。
しかし、「いや、そうじゃないでしょ?」と反論したのは私だけではない筈です。2014年の本作のプレミア前、TCAプレスツアーのパネルインタビューで、「男と女では見方、感じ方が異なる上、生い立ち、文化、階級、教養等で形成された各人のフィルターを通して見る結果、同一の出来事でも大きく異なるという’核心’を描く」と言ったのはどこのどなたでしたっけ?又、黒沢監督の映画「羅生門」のように、既婚者の不倫をシーズン1では、不倫当事者ノアとアリソンの観点から描き、シーズン2以降、ドラマに絡む複数のキャラの視点を加えて、性別、生い立ち、階級、教養などのフィルターを深く掘り下げるドラマだった筈です。この期に及んで「ノアの一生を描くドラマ」に豹変ですか?人間の心理を描かせたらトリームの右に出る劇作家はいないと信じていた私に、「トリーム、お前もか?!」と言わしめたこの泥縄式言い訳は、衝撃以外の何ものでもありません。
ションダ・ライムズは「グレイズ・アナトミー」は、「インターンは医者らしく、医者は人間らしくと日々努力するものの、仕事も人間関係も白黒を決める事は不可能がテーマだ」と放送開始前に発表したにも関わらず、クリスティーナ(サンドラ・オー)が降板を発表する直前から、「元々、このドラマはメレディス(エレン・ポンピオ)とクリスティーナの友情を描いたもの」と豹変したことが思い出されます。商業ベースに乗ったライムズのメロドラマではないのですから、ビジョンがブレるなど、劇作家トリームにはあるまじきことではないでしょうか?尤も、そこがテレビという媒体の有機性なのかも知れません。テレビ番組という名の「機械」には、可動部分(配役、人間関係、予算、ロケ地、等々)が五万とあり、臨機応変の処置を取らなければ、機械が停止します。ですから、最後までビジョンを貫くのは、至難の技なのでしょうが. . .
このシリーズを通して、一貫してノアというキャラだけには、どう逆立ちしても共感できないと主張するファンも多々いました。ドミニク・ウエストが演じたため、私は最初から拒絶反応を抑えることができず、シーズンを重ねる毎にノアの言動に垣間見たナルシスト/自己チュー/女嫌い(最終シーズンで初めてこの言葉が飛び出しましたが、私はシーズン3以降、女嫌いだと確信していました)振りに、共感できないどころか、嫌悪感を抱いていました。もっとハンサムで魅力があれば、ルックスに惑わされて. . .はありかな?と思います。
但し、しがない高校教師から一躍人気作家に躍り出て、成功に酔い痴れて酒や薬物に溺れ、家族には絶対に見せない自堕落で傲慢な不良中年になって行く過程をトリームは見事に描きました。世の中にはお金や名声のみに目が眩む浅はかな女性もいることですし、然もありなん?ではありますが、いつの日か世間からしっぺ返しがある筈と、信じていました。
不良中年のご乱行と職権濫用のツケが漸く回って来るのが、508と509話です。ここで2017年秋以降、ハリウッド/エンタメ業界を根底から覆しているセクハラスキャンダルとしてとり上げられ、遊び人ノアの目に余るご乱行に物申す被害者数人が名乗りを上げて、ノアの傲慢さが暴かれます。これで、何の後悔も反省もない不良中年は、完全に社会から葬り去られる!とワクワクしていたのですが、そうは問屋が卸しません。結局、ノアの世界が外(=社会)から如何なる処罰を受けたかは不明のまま、あれだけひどい仕打ちを受けた妻ヘレンや、ノアに色目をつかわれた長女ウィットニー(ジュリア・ゴルダニ・テレス)ですら、ノアを許して元の鞘に収まるのです。トリームは、「内(=家族)からの軽蔑が最も堪えるから、ノアが変わるきっかけとなる」と説明しています。ヘレンやウィットニーの寛容さには、びっくり仰天!!現実はそんなに甘くないのでは?と信憑性を疑います。そして、最終シーンは、酸いも甘いも嚙み分けたノアが、ウィットニーの結婚式に自ら振付したダンスを、モントークの崖っぷちで披露し、穏やかな終わり方をします。
最終シーズンでは、アリソンとコールは回想シーン以外、完全に姿を消し、代わりにロックハート家を代表して、30年余り未来に生きるアラサーのジョニー(アンナ・パキン)が登場します。アリソンとコールが抱えていたトラウマや心痛を引き継ぎ、アリソンから受け継いだ自暴自棄を不倫や自殺願望で表現するジョニーは、母親に捨てられたと思い込んで大人になりました。モントークに帰郷して、80歳(?)のノアと偶然出会い、アリソンがジョニーの為に、従来の被害者意識をかなぐり捨て、行動パターンを変えて、再出発する努力を重ねていたと聞かされます。
逆に、アリソンの死後、泣く泣くジョニーを男手一つで育てたコールは、ルイサ(カタリナ・サンディーノ・モレノ)と別れた後、バーモント州に引っ越して牧場を経営。ジョニーが大学に入ると、故郷モントークに戻り、ルイサと暮らした家で心臓マヒで死んだ等の背景は、「検死」コラムを読んで初めて知りました。あれだけ、モントークに固執していたコールが、どのような事情でバーモント州に越したのでしょうか?アリソンへの想いを断ち切れず、ヨリを戻そうと試みたコールが、ジョニーが母親を恨むほどアリソンの悪口を言うなど、私にはどうしても信じられません。そんな酷なことをするでしょうか?どんなに仲が悪かった夫婦でも、先立った伴侶は、時間と共に美化されるものです。人間の自己防衛手段の一種だと思いますが、思い出を取捨選択して記憶に留めておきます。’永遠の女’アリソンをコールが引きずり下ろすなど、考えられません。シーズン4で意味不明の降板を強いられて、殺されてしまったアリソン役のウィルソンと、ウィルソンに追随したジャクソンへの当て擦りのような気がしてなりません。
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◇Meg Mimura: ハリウッドを拠点に活動するテレビ評論家。Television Critics Association (TCA)会員として年2回開催される新番組内覧会に参加する唯一の日本人。Academy of Television Arts & Sciences (ATAS)会員でもある。アメリカ在住20余年。