本年1月6日に、「ビジョンもテーマもブレブレ 後味の悪い終焉を迎えた『アフェア~情事の行方~』」で、大好きだった「アフェア」の不公平極まりない/納得できない終わり方についてご報告しました。最終段落で、アリソンを悪者に仕立て上げたコールまでも独り寂しく死んでしまい、「シーズン4で意味不明の降板を強いられて、殺されてしまったアリソン役のウィルソンと、ウィルソンに追随したジャクソンへの当て擦りのような気がしてなりません」と締めくくりました。
2019年12月19日号の「ハリウッド・レポーター誌」に、ブリン・エリース・サンドバーグとキム・マスターズが、「ルース・ウィルソンが『アフェア』を降板した背景」を発表しました。私の読みが満更間違っていなかったことを証明する関係者の証言やウィルソンの言動をキーポイントに、私見を交えながら降板の謎を紐解いて行きたいと思います。
「ギャラの男女差でも、新番組に乗り換えた訳でもありません。NDA(秘密保持契約)で口を封じられてしまったので、何も言えないだけ!」と、ウィルソンがシーズン4の唐突な降板について意味深な発言をしたのは2018年でした。様々な憶測が飛び交う中、同年8月「ニューヨーク・タイムズ紙」には、「真相ですか?ショーランナーのサラ・トリームに聞いて頂きたいわ」とまで言っています。つまり、口にできない事情は巷の憶測より遥かに深刻で複雑と示唆した返答です。
ちなみに、トリームが2014年プレスツアーで公表したドラマのビジョンは、「男と女では見方、感じ方が異なる上、生い立ち、文化、階級、教養等で形成された各人のフィルターを通して見る結果、同一の出来事でも大きく異なるという’核心’を描く」というものでした。上記の記事で、サンドバーグとマスターズは、多数の「アフェア」関係者に聞き込みを実施、シリーズ同様「羅生門」様の答えが返って来たと発表しています。しかし、基本的にはウィルソンとトリームの見解の相違から生まれた「働く意欲を削がれる撮影/制作現場」に愛想を尽かしたウィルソンが、降板及びシーズン4の死にざまを選ぶことを迫られたと読み取れます。又、アリソンと言うキャラの展開と、アリソン独りに求められるヌードシーンの多さも、ウィルソンが不満を募らせた原因です。俳優として、過去を引きずったまま、同じ過ちを何度も何度も繰り返すキャラを演じる程、辛い事はない筈です。しかも、ご乱行と職権濫用を続ける不良中年ノア(ドミニク・ウエスト)と、我が身を棚に上げたヘレン(モーラ・ティアニー)から「良い加減に変わらなかったら嘘でしょ?」と諭されるなど、アリソンとしては耐え難い展開になったからではないでしょうか?「扱いにくい女優」とレッテルを貼られてしまったウィルソンのキャラは諦めるとしても、ヘレンやノアとは比べ物にならないほど自省能力があるコール(ジョシュア・ジャクソン)だけでも、ノアよりは威厳ある終焉を迎えて欲しかったと思います。要は、キャラの旅路の一貫性の問題です。
かつて「THE TUDORS~背徳の王冠~」(2007~2010年)や「ボルジア家 愛と欲望の教皇一族」(2011~2013年)など、エログロ度の高いドラマで名を馳せたShowtime局です。局の伝統を受け継ぐかのような、煽情的タイトルのついたドラマ「アフェア~情事の行方~」(14~19年)に、ヌードシーンが求められるのは当然です。それを知ってか知らずか登板したウィルソンに、トリームが作為的ヌードシーンを強要したとウィルソンは異議を申し立てたのです。匿名希望のスタッフは「ストーリーの展開とは何の関係もなく、不要と思われる時でさえ、トリームがヌードシーンを求めた事が、二人の対立の原因」と証言しています。
一方、「俳優の意見を聞く耳もたぬ、空気読めない独り善がりのショーランナー」と関係者から批判されたトリームは、見解の相違など一切認めません。「キャラの展開は、事前に十分な話し合いをしたし、ヌードシーンには殊更敏感になっていたので、放送前にウィルソンの承諾を必ず得ていたのに. . .」と言うのです。放送前では、時既に遅し!この反論は、完全に的外れです。なかなかセットに現れない女優達に「撮影班が皆、待ってるんだけどなぁ~」とチクチクと嫌味を言ったり、「綺麗、綺麗!」と宥めすかして脱がせるのが、トリームの常套手段だったと批判する関係者には、「私はフェミニストよ!そんな汚い手を使うわけがないでしょ」と非を認めません。又、「世渡りの男女差を女の観点から描きたかったから『アフェア』を創作した」と主張するトリームは、「制作現場で男尊女卑や職権濫用などもっての外。私がそんな環境を作りだす筈がないでしょ!」と憤慨する始末です。トリームの反論とは裏腹に、「ハリウッド・レポーター誌」の記事は、シーズン2のアリソンとノアのレイプ様セックスシーンを、ウィルソンが飽くまでも拒否した結果ボディダブルが雇われた事、又首になった別のボディダブルが、後日セクハラで局を訴えて和解した事実にも言及しています。要は、セクハラや職権濫用が横行する働き辛い環境だったのです。
しかし、テレビは基本的に放送作家の媒体です。1本のドラマのテーマやビジョンは当然の事ながら、展開や焦点に至るまで、決定権を握っているのはクリエイターです。1月6日に、「ビジョンもテーマもブレブレ. . .」でも指摘しましたが、トリームのビジョンのブレ(「このドラマは、元を正せば、ノアの一生を描いたものですから」という泥縄式言い訳)やテレビという媒体の有機性が今回の不幸な結果を生み出したものと思われます。ウィルソンが登板した「アフェア」と言う名の’機械’の五万とある可動部分が時と共に変わり、ドラマの主人公(=焦点)まで豹変した事を知らなかった/知らされなかったウィルソンが、無駄な闘いに挑んで負けたような感覚といえば良いのでしょうか?ノアの一生を描くドラマ=負け戦さと知っていれば、ウィルソンがしゃかりきにトリームに刃向かうことはなかったのではないでしょうか?メリル・ストリープ級の女優ならいざ知らず、俳優は単なる将棋の駒でしかありません。
記事の後半では、「アフェア」の制作総指揮/逸話監督を務めたジェフリー・ライナーとウィルソン及びティアニーとの確執が事細かに述べられています。ライナーが、「ヌードシーンを毛嫌いするウィルソンに、曝け出す技を教えてやってくれないか?」と’露出狂’と呼ばれるほど必要以上に脱ぎまくったHBO「GIRLS/ガールズ」のレナ・ダナムに頼んだ事に端を発して、ダナムがブログでライナーのセクハラや職権濫用を暴きました。局はダナムにはブログを削除するように言い渡したましたが、ライナーには何の措置も講じられなかったと言う事件です。そして、#MeToo運動が始まる約8ヶ月前の2017年2月、ウィルソンは労働環境の改善を求めて局に苦情を申し立てました。
最終的には、何も改善されない制作現場に愛想を尽かしたウィルソンが、シーズン4のアリソンのシーンをトリーム抜きで撮影しました。更に、トリームが飽くまで固執した強姦シーンか、無惨に殺されるかの二者択一を迫られて、ウィルソンが泣く泣く殺される方を選んだと言うのです。ウィルソンが頭に描いていたのは、アリソンが「子供と2人で手を繋いで、男抜きで夕日に向かって歩いて行く最終シーン」だったとか?「世渡りの男女差を女の観点から描きたかった」と主張するトリームのビジョンがあれ程ブレなければ、ウィルソンの願いが叶っていた筈です。何でも女の観点からしか見られない私の偏見も加担しているとは思いますが、キャラの性格や成長に全くそぐわない言動を「鵜呑みにしろ!」と突きつけられたかのような押し付け感が、後味の悪いシリーズにしてしまったと分析しました。
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◇Meg Mimura: ハリウッドを拠点に活動するテレビ評論家。Television Critics Association (TCA)会員として年2回開催される新番組内覧会に参加する唯一の日本人。Academy of Television Arts & Sciences (ATAS)会員でもある。アメリカ在住20余年。