2020年11月23日、「ネットフリックス社オリジナル・ドラマ・シリーズ副社長ピーター・フリードランダーが自社のブログで次のように発表した」という、持って回ったプレスリリースもどきが舞い込みました。よく読んでみると、限定シリーズ「クィーンズ・ギャンビット」が、配信開始(10月23日)から28日間に、全世界6200万世帯に視聴され、限定シリーズ史上、最多数の視聴者を獲得して新記録を樹立したというお知らせでした。(参考:TVGroove Newsとして11月24日「ネットフリックスの人気ドラマ『クイーンズ・ギャンビット』が新記録を樹立! ネットフリックス史上最も視聴されたリミテッド・シリーズに」)
チェスの鬼才ベス・ハーモンの山あり谷ありの思春期(8~22歳)を描いたドラマは、斬新でしかも奥が深く、何度観ても面白い秀作なので、然もありなんですが. . .オリジナルシリーズ制作で米国テレビ業界に殴り込みをかけた2013年以降、ネットフリックスの企業文化・方針に翻弄されて来た業界や評論家にとっては、正に青天の霹靂だったのです。私は「えーっ!?この期に及んで」とネットフリックスの豹変振りに不審を抱きました。
「持って回ったプレスリリースもどき」と表現したのは、フリードランダーが直接送って来たのではなく、社内ブログで公表した吉報を同社コミュニケーション部のニディア・カセロス・キルディがメディアに転送したような、妙な表現だったからです。通常プレスリリースは、番組の広報担当者から送られて来ますし、事実のみが淡々と述べられています。何度読み返しても、珍妙なプレスリリースなのです。
尤も、ネットフリックス広報のイマイチさは今に始まったことではありません。広報の何たるかを知らないのか?と、5年程前は首を傾げていましたが、その内改善されるだろうと思ったのが大間違い。TCAプレスツアーに参加しなくなった2018年以降、オリジナルシリーズのプレミアでさえNYで開催して、大手メディア以外は完全に無視するようになりました。「テレビ評など書いてもらわなくても十分事足りてます!」と言う高飛車な態度です。元々、会員がホームページを開けた途端、その人’好み’のお薦め新作のトレーラーを流し、あわよくば視聴してもらい、感想をソーシャルメディアで拡散、口コミで新規ユーザーを獲得することが番宣=マーケティング+広報だと定義したデータ第一主義のテック会社です。
テレビ業界の神経を逆撫でするネットフリックスのデータ第一主義方針の中で、最もひんしゅくを買ったのは、オリジナルシリーズ制作開始以来、頑なに視聴率公表を拒み通したことです。視聴率で広告料や番組の更新/打切を決める従来のレガシーメディア(=広告収入依存の地上波局+キャリッジフィー値上げにデータを必要とするケーブル局)を、加入者を増やすことのみが目的のネットフリックスとを比較するのは、「りんごとミカンを比べるようなもので、無意味極まりない」と、チーフ・コンテンツ・オフィサーとして君臨してきたテッド・サランドスは口を酸っぱくして主張してきました。ビジネスモデル・放送形態・オリジナル制作方法の相違点、更に視聴率の功罪まで指摘して、「無用の長物」に拘る事に真っ向から挑戦する「テック会社の驕り」を貫き通してきました。
「世界的ヒット作!」「ネットフリックス史上初の記録樹立!」と自画自賛する度に、データの提示を求められては「面白いドラマを作らなければ、ユーザー数が減る筈だから、会員数が急減しない限りデータとしては上がって来ない」とサランドスは反論。更に「一旦視聴率を発表してしまうと、200万人の視聴者を見越して制作した作品と、3000万人を見越した作品とを比較されるから、数字は絶対に公表しない」「長期投資という観点に立って番組作りをしているから、番組に関与したタレントに失礼にあたる(?)」「レガシー局の二の舞にだけはなりたくない」等々、屁理屈は切りがありません。
こうして7年も頑なに拒否して来て、何故ここに来て「クィーンズ・ギャンビット」の視聴者数を公表したのでしょうか?青天の霹靂の裏に何があるのかを、様々な資料を手掛かりに考察してみました。
先ず、下のデータをご覧ください。2020年2月から、ネットフリックスがサイトで毎日「人気トップ10」を網羅するようになりました。勿論、数字は一切明かされないため、Reelgood社(ストリーミング検索エンジン)では同「今日の人気トップ10リスト」の順位に応じて1位=10点、2位=9点、3位=8点として、ポイントを加算して作成。2020年2月27日~12月9日間の統計から弾き出した、2020年ネットフリックス のテレビ番組トップ10です。
このデータで浮上したのは、あれだけオリジナルシリーズに法外な額を投資している割には、トップ2位がオリジナルではないと言う事実です。1位のファミリー向けアニメ作品「ココメロン」はMoonbug Entertainment社とネットフリックスの共同制作/ライセンス契約をしたもので、コロナ禍の外出禁止令で、四六時中家にいる退屈しきった子供の扱いにほとほと困り果てた全米の親達のお助け番組(先生/子守役)として利用された特異なケースです。2位に輝いたコメディ「ジ・オフィス」は9シーズン(2005年~13年)地上波局NBCで放送されたモキュメンタリー/コメディです。NBCで獲得した根強い(カルト的)ファンよりも、巣ごもりを強いられた一気見世代に’発見されたもの’とReelgood社は分析しています。「ジ・オフィス」全201話は一気見には持って来いで、ミレニアムに「目新しさ」が受けたものと思われます。全世界6200万世帯を魅了した「クィーンズ・ギャンビット」が3位を獲得、4位ドキュメンタリー「タイガーキング:ブリーダーは虎より強者」や5位ドラマ「オザークへようこそ」から10位のリアリティ番組「ラブ・イズ・ブラインド」まで、オリジナル作品(注)が追随しています。
注:ネットフリックスがオリジナルシリーズと称する作品は、「オリジナル」定義を広義に解釈したもので、レガシーメディアとは異なります。実際にネットフリックスが企画した作品の他に、
1)制作は外部の会社/スタジオに任せ、プレミアを前払いして入手、独占配信権を確保した作品
例:「ハウス・オブ・カード」や「ザ・クラウン」
2)ある種の共同制作をした作品を、共同ライセンス契約したもの
例:「ブラック・ミラー」
3)外部のスタジオや地上波局・ケーブル局が企画・制作したが、ネットフリックスが一部地域で独占配信権を手に入れた作品
例:「スター・トレック・ディスカバリー」(制作はCBS、配信はCBS All Access)
のような、内訳となっており、単にオリジナルシリーズとレッテルが貼られている作品でも、裏では煩雑な取引が行われています。
2021年元旦のことです。NBCユニバーサルから「Peacock Media Alert!」と題して、本日より「ジ・オフィス」が動画配信サービスPeacockで「独占配信開始」のお知らせメールが舞い込みました。ネットフリックスの配信契約が切れた為です。これで納得!折からの、レガシーメディアによるSVOD(定額制動画配信サービス)領域参入で、競争が激化して行く中、ネットフリックスのラインナップから「ジ・オフィス」が消えてしまうのは、貴重な盾を失ったも同様です。
青天の霹靂と言うべき「クィーンズ・ギャンビット」の記録的視聴者数発表は、折からSVOD米国市場のシェアが減少の一途を辿るネットフリックスの苦肉の策だったのです。全世界で押しも押されるヒット作となった「クィーンズ・ギャンビット」を掲げて、「オリジナルシリーズで充分に会員を繋ぎ止めておけるんだぞ!」と、競合会社を牽制せんがためにネットフリックスが張った煙幕だったと解釈できます。
SVOD(定額制動画配信サービス)主要5社の米国市場シェアの2020年第2四半期~第3四半期の推移を示したグラフをご覧ください。
2020年第3四半期~第4四半期の市場シェア推移はこちらです。
注目して頂きたいのは、ネットフリックスのSVOD米市場シェアの推移です。第2四半期には32%を誇っていたシェアが第3四半期25%に減少、更に第4四半期には22%まで落ちています。9ヶ月間にシェア10%減は、嘗て飛ぶ鳥を落とす勢いがあったネットフリックスと言えども、いつまでもSVODの王座を死守することは至難の業だと示唆しています。数字だけで言うと、ネットフリックスのシェア10%減分は、ほとんどHBO Maxのシェア9%増に繋がっているように見えます。
業界誌「ハリウッド・レポーター」11月2日号「Netflix Upheaval: Departures, Anxiety and Another Reorg」が、視聴者数発表の引き金となったネットフリックスの御家騒動を報じました。
昨年7月に創業者リード・ヘイスティングスに並ぶ共同最高経営責任者(CEO)に昇格した(前出の)サランドスは、グローバルTV部門を統括する副社長(直属の部下)にベラ・バハリアを起用しました。バハリア就任後2ヶ月の短期間に、ドラマ部長チャニング・ダンジー、コメディ最高責任者ジェーン・ワイズマン、オリジナルシリーズ取締役ニナ・ウォラースキーがネットフリックスから姿を消しました。「これまでサイロ化していたコメディとドラマの融合を最優先し、番組制作の基本を熟知した上で、クリエイターに’優しい’環境作りが目的」と、バハリアは新設のグローバルTV部門及び副社長の役割、更に10月27日に発表した組織再編について「ハリウッド・レポーター」誌上で説明しています。
ネットフリックス以上の職場などあり得ない!と言われていたのは昔の話。「こんな筈では. . .」と転職を考える社員たちは、うっかり口を滑らしたら、三下り半を突きつけられるのでは?と恐れているのでしょう。「次に首を切られるのは誰か?」「今の仕事がいつまで続くのか?」「近い将来、会社の形態がどう変わるのか?」など、不安は募るばかりで、おちおち仕事をしていられないと、匿名で「ハリウッド・レポーター」のインタビューに答えています。
コロナがもたらした巣ごもりでネットフリックスは第2四半期には55歳以上の高齢層の加入者増加を記録。10月29日、米国内の月額料金を(プランによって)1~2ドル値上げしても会員数は減らず、順調に売り上げを伸ばしているかに見えますが. . .SVOD米市場シェアは、僅か9ヶ月間に10%も減少しています。「次々と参入するライバル動画配信会社に、いつ首位から蹴落とされるかという社内の不安を、組織再編のみで和らげることなど無理な話」と社員の大半は、不安を隠すことができません。
「この手の御家騒動は、テック会社では日常茶飯事」と断言する社員もいますが、新任バハリアが目指すのは、発注・購買・調達などの命令系統を明確化する事。これまで、大人の鑑賞に堪える名作級ドラマ、YA(ヤング・アダルト)向けドラマ、ファミリー対象ドラマなどジャンルが細分されており、「ニッチに完全に合致しなければ、どんな企画を持ち込んでも制作に至らない」とプロデューサーから不平不満が出ていたからです。しかし、同社幹部は、米国内シリーズ担当部長が決まるまでは、今回の組織再編の全体像が明確にならないと懸念を抱いています。サランドス直属ではなく、バハリアの管轄下で力を発揮できる人材を探していますが、ネットフリックスの「無秩序・無慈悲・過激な企業文化」は万人向きではなく、レガシーメディアで働いていた人を起用するか、「旧体制に挑戦!」精神満々の同社社員を昇格させるのか?業界は息を呑んで見守っています。
今回の御家騒動がもたらした不安と混乱の波及効果が最も顕著なのは、サランドスが大枚を叩いて「お抱え」にした一連のプロデューサー軍団。オリジナル副社長シンディ・ホランド失脚後、何を聞いても「検討中」とか「即答はできない」との答えしか返って来ないからです。シリーズ更新の判断マトリクスや制作方針、企画管理を誰が引き継ぐのかなどが全く見えず、「既にゴーサインが出ていた企画が次々と没になった」と嘆くプロデューサーも続出。
バハリアは海外で生産性とコストのバランスをとった重役として定評があり、サランドスが1~3億ドル単位の法外な契約金を支払ってお抱えにした大物プロデューサー(ケニア・バリス1億ドル、ションダ・ライムズ1.5億ドル、ライアン・マーフィー3億ドルなど)の見直しを始めました。2013年にホランドが「最も重要視するのは、制作費に見合う視聴率が取れるかどうか?」だとプレスツアーで発表したことを思えば、この際にサランドスの桁違いの散財の結果を見直そうというのでしょう。「パッション・プロジェクトを何本制作されても、誰も観ないのでは全く意味がない。制作費に敏感でありながら、視聴者受けする’ピカイチ作品’創作に集中して欲しい」とバハリア。更に、お抱えプロデューサーの統轄を、ブライアン・ライト取締役に一任する新たな方針も発表しました。嘗てサランドスが個性の強い大物プロデューサーをリクルートする際に、法外な契約金と完全なクリエイティブ・フリーダム(創造の自由)を約束したことを考えると、この辺で手綱を締めようと言う動きなのでしょう。
大物プロデューサーが制作したオリジナル作品は、主義主張が明確な余り、独断と偏見に満ち満ちた作品になりがちです。固定ファンには受けても、世界的ヒット作からは程遠いことを鑑みて、見直しを始めた矢先のことです。限定シリーズ「クィーンズ・ギャンビット」が彗星の如く登場し、全世界で記録を樹立。「メイキング・オブ『クィーンズ・ギャンビット』」も観られるようになり、限定シリーズでありながら、シーズン2更新の噂が流れる程、押しも押されもせぬ大ヒットとなった訳です。ここぞ!とばかりに、ネットフリックスが掌を返すように方針を覆したのも頷けます。
2009年来、毎年(脚本のある)ドラマやコメディの本数が着実に増え続け、「ピークTV」時代が続いて来ました。2020年、コロナ禍でバブルは弾けたようですが、それでも2009年の2.5倍の本数が登場したと言われています。だからと言って、「唸る程の秀作」が2.5倍に増えたかと言うと、テレビ業界の現実は惨憺たるものです。SVODにパワーが移行してしまったお陰で、そこそこの出来のコンテンツが限りない時間と空間を埋め尽くそうと躍起になる、「質より量」の世界に成り下がってしまったからです。
元をただせば、1)安い月額料金で、2)信じられない本数の映画が観られる、3)テレビシリーズの一気見ができるの3点が売りのネットフリックスにとびついたのは、所謂「ギグワーカー」(インターネットを介して見つけた単発の仕事で収入を得る労働者)です。オリジナルシリーズ制作に乗り出した矢先は、エミー賞欲しさにHBOに追い付け追い越せ!とブティック化を目指していたこともあって、「ハウス・オブ・カード」「ザ・クラウン」等、大人の鑑賞に堪える秀作を輩出した時期もありました。しかし、いつの間にか’下手な鉄砲も数打てば当たる’大型量販店に逆戻りし、レガシーメディアよりもっと複雑な問題を抱えることになってしまったのではないでしょうか?
「質」のみに固執するテレビ評論家の立場から見て、ユーザーのデータが豊富にあるだけに、却って視聴者を細かく分け過ぎるのが、ネットフリックスの問題の1つだと思います。ターゲット好みのオリジナルシリーズ企画・制作が「超ニッチ化」してしまい、オリジナル新作が続々と登場する割には、好みにピッタリ!の作品に巡り会えるのが、年に2~3回あれば万々歳!と諦めの境地に達してしまいました。又、新作の配信を急ぐ余り、レガシーメディアの「パイロット版」を水増しして6~10話に分散して1シーズンとする為、ビジョンもキャラも曖昧模糊とした、ピンボケの稀薄なドラマが急増。
又、長期的投資と言いながらも、ネットフリックスがシリーズ更新の目安を、配信開始後28日間に視聴完了した会員のみとするマトリクスにも問題があります。面白ければ、一気見するか、少なくとも1週間以内に完了する筈と言う判断なのでしょうが、現実はカルト的ジャンルファンか余程暇を持て余している人でない限り、配信開始後28日間に限定するのは、自分で自分の首を絞めているようなものではないでしょうか?この判断基準を使うため、最近はエミー賞を獲得した/ノミネートされたドラマでさえ、打切の憂き目に逢い、オリジナルシリーズの短命が目立つようになりました。レガシーメディアのヒット作が平均6シーズン続くのに反して、ネットフリックスでは1~2シーズンで尻切れトンボで一巻の終わり!作品が富に増えました。尻切れトンボは辛いから、最初からハマる(=心理的投資)のを躊躇するユーザーが急増するのは当たり前です。地上波局でも、「LOST」級の大型SF群像劇が鳴り物入りで続々と登場しては尻切れトンボで消え去った時期があり、視聴者が大型SF群像劇を敬遠したものです。(例:「フラッシュフォワード」2009年~10年、「インベイジョン」「スレッシュホールド」05~06年)
尤も、コロナ禍で大掛かりな組織再編を強いられたのはネットフリックスだけではありません。9月15日「パンデミックがもたらしたパラダイムシフトですっかり様変わりした米国テレビ業界 もう始まっている『ニューノーマル』. . .」でご報告したように、動画配信サービスにパワーが完全に移行し、2020年夏レガシーメディア局でも幹部総入れ替えをしてSVOD乱立時代に向け万全を期しました。SVODの草分け、天下のネットフリックスと言えども、もはや「レガシー局の二の舞にだけはなりたくない」どころか、首位を死守するには、これまで頑なに守って来た企業方針を見直す時が来たのではないでしょうか?
ハリウッドなう by Meg ― 米テレビ業界の最新動向をお届け!☆記事一覧はこちら
◇Meg Mimura: ハリウッドを拠点に活動するテレビ評論家。Television Critics Association (TCA)会員として年2回開催される新番組内覧会に参加する唯一の日本人。Academy of Television Arts & Sciences (ATAS)会員でもある。アメリカ在住20余年。