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テイラー・スウィフト-引っこし、ドサ回り、飛びこみ営業・・・泣かず飛ばずだったテイラーの悲惨すぎる少女時代、それでも夢をあきらめきれない彼女がとった行動とは?【崖っぷちから這い上がった海外セレブたちVol.9】

テイラー・スウィフト COLUMNS
テイラー・スウィフト

音楽界のアカデミー賞ともいわれるグラミー賞。その中でもっとも栄誉があるといわれる「年間最優秀アルバム賞」を3度も受賞したアーティスト ー テイラー・スウィフトは、たった人生30年でこの偉業をなしとげた、とにかくすごい人なの。ファンでなくとも、彼女の歌をみんな一度は耳にしたことがあるのではないかしら?

▼2021年、グラミーでついに3度目の「年間最優秀アルバム賞」を受賞したテイラー。女性ソロアーティストとしては初の快挙!

 

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テイラーの実績は、同世代のハリウッドセレブの中でもダントツにすごいんだけどね。じつは彼女のアーティストとしての歩みははじめから順調だったわけではないの。いまの輝かしい成功からは想像できない“崖っぷち”を経験してきたテイラー先生から、人生を上向きにする根性のみがきかたを学ぼう!

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セレーナ・ゴメス

田舎の農場で育ったカントリーガール

テイラー・スウィフトが生まれたのは1989年、ペンシルバニア州。彼女は、当時アメリカ三大投資銀行のひとつであった「メリル・リンチ」の株式ブローカーだった父、銀行を退職して専業主婦になった母とのあいだに第一子として誕生。のちに弟のオースティンが生まれて、4人家族になるの。

▼少女時代のテイラーと家族。父親にも母親にも似ているわね!かわいい♡

 

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幼少期は、クリスマス・ツリー農場(文字どおり、クリスマス・ツリーを栽培する農場)に住んでいたテイラー。自然に囲まれた環境でのびのびと育ったみたいね。両親がニュージャージー州の海辺に別荘をもっていたため、夏休みはそちらで過ごすことが多かったんですって。

▼きゃぁ♡テイラーの小さいころ!天使感がすごい!

 

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家族はみんな敬虔(けいけん)なクリスチャンでね。テイラーと弟も何度か転校したものの、基本的にはずっとキリスト教系の学校にかよっていたの。まさに典型的な「裕福で、信心深いアメリカの白人家庭」に育ったわけね。デビュー後からいまにいたるまで、テイラーにはつねに「グッド・ガール(いい子ちゃん)」なイメージがあるでしょ?それは彼女のもともとの育ちのよさからきているのかもね。

▼スウィフト家は、絵に描いたようなアメリカのアッパーミドル(中上流家庭)ファミリーだったわけ

そんな彼女が、音楽に興味をもちだしたのは9歳のとき。ミュージカルがだいすきだったテイラーは、地元の劇団で歌や演劇を学びはじめたの。そのうち、カントリー歌手のシャナイア・トウェインの大ファンになったテイラー。グラミー賞を5度受賞した世界的な歌姫シャナイアへのあこがれが、テイラーのその後の人生を大きく変えた、ともいえるわね。

▼シャナイア・トウェイン。カントリー歌手でありながらファッショナブルでグラマラスなその姿が、テイラーを魅了したのね

「歌手になりたい!」そんな純粋な気持ちをいだいたテイラーは、週末ごとに地元のお祭り、カラオケ大会、スポーツ・イベントなどありとあらゆる場所で演奏するようにまさに「ドサ回り」という言葉がぴったりの地道な活動をはじめるの同時に地元のタレント発掘コンテストに何度も応募するも、みごと落選。のちのテイラーの活躍からは想像できないほど、パッとしない子だったみたい

▼小さいころからパフォーマンスの経験を積んでいたところは、親友、セレーナ・ゴメスの生いたちにも似ているかも!

 

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▼セレーナの幼少期もなかなかドラマチックだったのよね

でも小さいころから、頭脳はキレッキレだったテイラー。そのころ超人気カントリー歌手、フェイス・ヒルのドキュメンタリーをみた彼女は、とても大事なことに気づくの。「一流のカントリー歌手になりたかったら、ここで地道に活動していても意味ない!カントリー・ミュージックの本場にいくしかない!」ってね。

誰にも相手にされなかった飛び込み営業

カントリー歌手になるために、本気を出そうと決めた11歳のテイラー。週末ごとに、母親と一緒にテネシー州のナッシュビルをおとずれるようになるの。ナッシュビルといえば、アメリカのカントリー・ミュージックの聖地。カントリー歌手ならかならず、一度はこの街を拠点(きょてん)にする、といわれている場所なのね。

テイラー・スウィフト

ナッシュビルは、LAやNYとも並ぶ音楽の聖地。特にカントリーミュージック関連のレコード会社や、ライブハウスなどがたくさん集まっているの。

その中に、音楽産業に関連する会社が何百とひしめきあっている、「ミュージック・ロウ」といわれるエリアがあるんだけどさ。少女テイラー、なんとそこで自作のデモテープを片手に一軒一軒、飛び込み営業をしたんですって。「テイラーです。私、曲を作っているんですけど、契約しません?」ってな感じでね。いやぁ、たった11歳で親に強制されるでもなく、そこまで明確な意思をもって行動できるなんてスゴくなぁい?テイラーの聡明(そうめい)さがわかるエピソードよね。

▼売り込みに忙しい中でも、学校のお勉強もきちんとしていたらしいテイラー。さすが優等生!

そんな少女の勇気ある行動に心を動かされたオトナたちが、さっそくテイラーと契約を・・・してくれるわけもなく、彼女はあっけなく門前払いされてしまうの。でもそんなことでくじけるテイラーではなかったわけ。「抜きんでるには人と違うことをしなくては」そう悟った彼女は、そこから作詞をはじめるの。12歳のときにはギターを使っての作曲にも挑戦。気づけばまわりに圧倒的な差をつけることができる、シンガーソングライターになっていたの。

▼作詞・作曲ができて歌も歌えて、さらにこのかわいさ!才能のかたまりだったテイラー

夢をあきらめず、同時に地に足のついた努力をつづけたテイラーが、タレントプロデューサーのダン​・ダイントロウに出会ったのは2003年。彼女の才能を見こんだダンのおかげでテイラーの人生は大きく動きだすの。すぐにアメリカの人気ブランド「アバクロンビー&フィッチ」のモデルに起用されたテイラー。同時にあの有名なコスメ・ブランド「メイベリン」が監修したミックスCDに曲を提供することもできたの。

▼アバクロの広告で。「ギターを抱えて涙を拭く」という謎コンセプトでたたずむテイラー(右)。左は、のちのアカデミー賞女優、ジェニファー・ローレンス

 

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なによりダンのおかげで、音楽レーベルの重役たちときちんと交渉できる立場を手にいれたテイラー。その流れで、一流のレコード会社「RCAレコード」の養成所にはいれることになったの。人気カントリー歌手への階段を一歩ずつ、しかし着実にのぼりはじめたテイラーをサポートするため、一家はテネシー州に引っ越すことに。テイラーの成功は家族の理解と思いやりに支えられていたのね。

▼温かい家庭で、愛情たっぷりに育ったのがヒシヒシ伝わってくるわね!裕福な家庭だったからこそ、テイラーの夢を家族で応援できたっていうこと

自分の意思をつらぬき一気にスターダムを駆けあがった少女

養成所にかよいながらも、つねにデモテープを片手に歌手デビューのチャンスも逃すまい、とがんばっていたテイラー。でもコトはそう簡単にいかなったわけ。がんばってアピールするもののなかなかうまくいかなくてね 自分のキャリアのために、家族を巻きこんで引っこしまでしたのに・・・あせりまくった彼女は、ノイローゼ気味になったらしいわよデビューもしないうちから、まさかの崖っぷち状態に陥ってしまったわけ

▼「やべぇぇぇぇ〜っ!」と思っただろうね・・・

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そんなとき音楽出版社の「Sony/ATV」作詞家としてテイラーを雇用するの。なんと、彼女はこの会社に史上最年少で雇われたソングライターになったわけ作詞家になったテイラーは、それ以来、毎日放課後の時間をすべて作詞にあててがんばりやさんの彼女のことだから、さぞマジメに取りくんだんでしょうね。カントリーミュージックの魂でもあり、のちのテイラーの人気を支えることになる彼女の「作詞力」はこの時代に養われたってわけ。

シンガーとして人気者になるまえに、ソングライターとしてめきめきと頭角をあらわしたテイラー。弱冠14歳ながら、大人の歌手に歌詞を提供できるまでに成長したの。金髪のバービー人形のような見ためから、アイドル歌手のようにあつかわれることもあるテイラー。でも彼女、じつは下積みのながいガチの実力派なのよ

▼「アタシ、かわいいだけじゃないのよん!」byテイラー

 

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15歳にして、十分な実力を手にいれたと考えたテイラーは、自作の歌詞でのCDデビューを熱望。対して当時所属していた「RCAレコード」は、テイラーが自身で書いた曲を歌うことに反対したの。さらには彼女が18歳になるまではデビューはさせない、という方針までうちだしてね。思いどおりにコトがすすまず、またしても崖っぷちに追いこまれたかにみえたテイラー。

でも当の彼女の反応は、あっさりとしたもの。「作詞は私にとってのすべて。自分の歌詞でデビューさせてくれないなら、ここにはいれない」と、あっというまに「RCAレコード」をやめてしまうの。15歳にして自分がしたいこと、したくないことを明確に決めていたテイラー。すでに将来のビジョンがはっきりとみえていたのね。

▼「さいなら〜!」とやめてしまったテイラー。そのいさぎよさも、成功の秘訣だったのかも?

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その後、すぐにビッグ・マシーン・レコードと契約をしたテイラーは2006年、初のシングル「Tim McGraw」をリリース。ビッグ・マシーン・レコードは当時まだ新しい会社だったから人手がたりなくてね。テイラーと母親で、ラジオ局に送るCDを封筒にいれる作業を手伝ったそうよ。さらには1年かけて全国のラジオ局を「ドサ回り」営業。とにかく地道な活動をくりかえして、少しずつ、ホントに少しずつ、認知度をたかめていったの。

▼「Tim McGraw」のCDジャケット。金髪のカーリーヘアに花柄のワンピでまさにアメリカのカントリーガール!

 

【動画】こちらは「Tim McGraw」のMV。初々しいテイラーがまぶしい!

それにくわえてテイラーは、若者らしい新たなとりくみにも挑戦。2006年といえば、ちょうどSNSが普及しはじめたころ。彼女は当時絶大な人気を誇っていたSNS「My Space」のページを開設してね。もともとはカントリーソングなんて聴かないはずの若い層のファンをそこからとりこんだの。

▼ロングのカーリーヘア、ウエスタンブーツでギターをかき鳴らす姿は、ここから数年間テイラー・スイフトのトレードマークに

 

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売れるためにできるコトはなんでもする  —  テイラーのそんな姿勢が実をむすんだのが2006年10月。初のアルバム「テイラー・スウィフト」が発売され、ビルボード200で19位を、カントリー・アルバム部門では1位を獲得するの。さらには、2017年には3枚目のシングルである「Our Song」がカントリー・チャートで6週連続で1位を獲得。カントリー音楽界に舞いおりた若干16歳の新人歌手テイラーに、全米の注目が集まることになったの。

【動画】「Our Song」のMV。バービー人形かと思うほど美しいテイラーに注目!

デビューからたった1年にして、カントリーシンガーとしてのスターダムを駆けあがったテイラー・スウィフト。でも、これは彼女が残した伝説のほんのプロローグ。次回は、テイラーがこれから経験する「栄光と崖っぷち」にズバっと斬りこんでいくわよ!お楽しみに!

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