※「AND JUST LIKE THAT… / セックス・アンド・ザ・シティ新章」のネタバレを含みます。
本サイトでも、今夏から折に触れて「セックス・アンド・ザ・シティ」(SATC)続編に関して様々なニュースが報道され、ニューヨークでのプレミア及び米国での配信開始以来、問題児キム・キャトラルが演じたサマンサの運命(12月10日の記事)からミスター・ビッグ(クリス・ノース)の衝撃的な死や葬儀(12月11日の記事)までが報道されています。それだけ、SATCの熱狂的ファンが多いと言う事ですが、日本での配信開始前に、HBO Maxで配信されている続編「AND JUST LIKE THAT… / セックス・アンド・ザ・シティ新章」を4話まで観た感想をまとめました。
ミスター・ビッグの死
これは、映画の3作目で既に考えられていた筋書きなので、内情に通じていた方には、寝耳に水ではないと思いますが、私にはショック!!でした。但し、第一話の真ん中辺りで、キャリー(サラ・ジェシカ・パーカー)がシャーロット(クリスティン・デイビス)の養女リリー(キャシー・アング)のピアノリサイタルに出かける時に、ビッグ(クリス・ノース)が送った視線に不吉な陰がよぎりました。リリーの力強い演奏とエアロバイクの過度のトレーニングがビッグの最期となる過程をカット、カットで編集、結果は明らかなのに、何とかビッグを救えないか?と言うドキドキ、ハラハラ感が募り、不安と恐怖を盛り上げる見事な演出です。
あれだけ擦った揉んだして結婚したビッグとの死別は悲しいとしか言いようがありませんし、最愛の人を失くした、心が張り裂ける辛さや痛みを体験している私は、涙、涙、涙で観た第一話でした。ビッグ亡き後のキャリーの行動や複雑な気持ち等が痛いほど身に沁み、長年忘れていた喪失感が蘇ってきて、あのトラウマを生き直したような思いでした。
一方、亡くなった人は必ず美化されるものですが、葬儀のお悔やみの言葉に引っかかった事も確かです。ビッグは男の中の男(=#MeToo運動が指摘した「有害な男らしさ」を具現化した男)で、男尊女卑がまかり通った時代のプレイボーイ=遊び人です。そんなに誉めそやすほどの人だったとは思えないのですが、参列していたシャロン(モリー・プライス)が、キャリーを散々泣かせて振り回した卑劣な男だったと指摘してくれて「だよねー」と納得しました。
偶然と言うのか、米時間12月16日に、業界誌ハリウッド・レポーターが、ノースから性的暴行を受けたと二人の女性が告発したと報じ、又しても私の第六感が当たっていた!と仰天しました。10年余り前、「グッドワイフ」のピーター・フローリック役を演じている時にノースをインタビューして、いずれこのようなスキャンダルが浮上すると直感しました。あの時は、ノースの「驕り」への拒否反応と解釈しましたが、今思えば、2017年以来、#MeToo運動が槍玉に挙げる「有害な男らしさ」を感じ取ったに違いありません。
余談ながら、ビッグを生かしておくと、キャリーの新しい恋のお相手を登場させることができないから、ビッグが消されたのだと言う説もあります。制作側にすれば、然もありなんの決断です。(笑)
サマンサ不在の理由と意味深な葬り方
SATCファンや制作側目線では、サマンサを演じたキム・キャトラルは、トラブルメーカー(問題児)の一言に尽きます。先ず、SATC時代にはギャラで揉め、映画に出るのをゴネたとか、映画3作目の出演をドタキャンして制作側に多大なる迷惑をかけたとか、とにかく話題は尽きません。喧嘩両成敗と言いたい所ですが、主演兼プロデューサーのパーカーが圧倒的に優位に立っていたこと、プロデューサーと名が付けば、無理な注文がまかり通るのを制作現場で体験しているだけに、キャトラルの言い分の方が信憑性が高いと思います。
2018年、キャトラルの家族に不幸があった時に、パーカーが送りつけたお悔やみ状を、「(公には善人ぶって、裏ではイジメに興じる)偽善者のお悔やみなんかもらっても、浮かばれない!」的コメントを発表しました。この確執を逆手に取ったのか、続編第二話でビッグの葬儀に棺桶を覆うほどの巨大な供花を贈って寄越したのが、何を隠そうサマンサだった!と言う設定になっています。キャリーの広報を首にされ、プライドが傷ついて、ロンドンに移住したサマンサの美しい葬り方で、私はイメージアップしたと思いますが、実はパーカーや制作陣の当て擦りだったのかもしれません。
30代の御盛んな時代から50代の尻窄まり時代に
NYのアラサー独身女性4人(サマンサのみ、正確にはアラフォー)の恋愛や婿探しの冒険を描いた画期的で斬新なコメディ「セックス・アンド・ザ・シティ」(1998〜2004年)は、HBOプレミアケーブル局の甲板番組の一本です。性描写に規制が厳しかった地上波局のドラマやコメディに慣れている視聴者に「えー、そこまで言っちゃうの?」「ギョッ!丸出し!?」と言わせる程、衝撃的な作品でした。SATC以降、HBOはプレミアケーブル局と言う立場をフルに利用して、ポルノ同様の作品を次々と発表し、放送倫理の枠をどんどん拡張して行きます。
しかし、今回HBO Maxが配信する続編は、地上波局でも規制緩和が続き、最近では過激な暴力や性描写も観られるようになった2012年にデビューを果たしました。更に、55歳=X世代(団塊の世代とミレニアル世代の間)のキャリー、シャーロット、ミランダ(シンシア・ニクソン)は、皆結婚して曲がりなりにも家庭を持っているので、SATCの頃の勢いは全く失せてしまいました。セックスシンボルだったサマンサ不在も相まって、続編のタイトルからセックスと言う言葉が消えてしまった訳です。もっとも、版権の問題でSATCを使えなかったこともあるようですが. . .
人間、歳と共に柔軟性を失い、現状維持に凝り固まってしまうものです。心理学者エリクソンは、人間の発達段階7(40〜65歳)を壮年期と呼び、「次世代育成能力vs.停滞の時期」と定義しました。子育てや職場の後輩育成等、次世代を養う時期で、反対に自分のことだけ考えて生きていると後世に自分の足跡を残せるか?と言う不安に襲われる停滞の時期でもあると言います。壮年期真っ只中のキャリーは、最愛の人を失くして喪失感に見舞われて足場を失い、ミランダは企業弁護士を辞めて人権法を新たに勉強して停滞を避けようと必死になり、専業主婦シャーロットはまだまだ子育てに余念がありません。キャリーが体験した人生最大の喪失は、安心しきって立っていた足場を覆されて、天と地がひっくり返ってしまった状態と言えるでしょう。私の大好きな「グッドワイフ」で、クリエイター(ロバート&ミシェル)キング夫妻が主人公アリシア・フローリックに課した「天と地がひっくり返った時こそ、人間が成長する機会」と同じです。変身=成長しなければ、喪失の意味がゼロになってしまう分岐点とも言えます。
又、wokeな(=人種差別や社会問題に対して関心を持つ/敏感なこと)若者と付き合い切れない、時代の流れに辛うじてついて行こうとしているものの、肝心の場で禁句を口にして白い眼で見られたり、救いの手を差し伸べて逆に非難されたり、まるでヤマアラシか毬栗になってしまったような生き辛さを感じる壮年期を実に見事に描いています。
各キャラに新しい友人が登場
ゲイのキャラ(スタンフォードやアンソニー)以外に、白人キャラ勢揃いだったSATCにダイバーシティとインクルージョンをもたらすために、各キャラの行動範囲に応じて、BIPOC(Black, Indegenous, People of Color=黒人、先住民、有色人種)を代表する新しいお友達が登場します。
キャリーは、子供のいない未亡人となり、著作業からも遠のいていたため(10年余り有閑マダムだったのでしょうか?モノ書きとしては、興味津々!)、ノンバイナリーのスタンダップコメディアンのチェイ・ディアス(サラ・ラミレス)が司会する、ポッドキャスト番組に出演して第二の人生に踏み出そうと試みます。LGBTQ目線で番組は進められ、過激で露骨な発言に不慣れなキャリーは、上司チェイにもっと積極的に参加するように注意されてしまいます。かつては「セックス・アンド・ザ・シティ」欄を担当して時代の先端を行っていたキャリーも、今や時代遅れのお高く止まった融通の利かないおばさんになってしまったようです。wokeな世界に足を踏み入れたX世代のキャリーが、ジェネレーションギャップを痛感するのは当然です。
ミランダは、30年務めた企業弁護士を辞めて、母校コロンビア大学で人権法を勉強し始めました。職業柄、理屈っぽいのは今更言うまでもありませんが、教授ナイア・ウォレス(カレン・ピットマン)や法学部の生徒達(Z世代)とは、ジェネレーションギャップが大き過ぎて、言うこと為すこと全てがwokeな若者の神経を逆撫でします。ミランダが振りかざす「白人の救世主強迫観念」には、米国のBIPOCグループは身につまされるかもしれませんが、日本の視聴者には、ぴんと来ないかもしれません。
因みに、「白人の救世主強迫観念」とは、偏見や差別を目の当たりにした時に、優位に立つ白人が、その場しのぎの解決策を提供して自己満足することで、問題の根本を無視した解決策は、長い目で見ると白人至上主義永続に加担することになる可能性があり、白人の独り善がりの行動と非難されることだと言うのが私なりの解釈です。しかし、特に差別された体験を話し合おうと歩み寄っても、開口一番「迫害された体験のない人には、何を言っても分からない」と斬り返されると、フーテンの寅さんではありませんが、「それを言っちゃあ、おしまいよ。」と殻に閉じこもりたくなります。そう言う意味では、軽蔑されてもお説教されても、歩み寄ろうとするミランダは偉い!と思ってしまいます。
更に、ミランダは17歳の息子に手を焼いており、夫婦関係は今や子供とアイスクリームだけが共通点の同居人関係と化し、何をするにも「先ず、一杯ひっかけてから」とアルコール依存症寸前です。ニクソンは実生活では、同性愛者と公表していますし、今年5月に活動家クリスティ・マリノニと同性婚をあげたばかりです。従って、続編「AND JUST LIKE THAT… 」では、心機一転を目指すミランダが極端に老け込んだスティーブ(デビッド・エイゲンバーグ)と別れて、LGBTQに仲間入りしそうな気配です。自然な流れではないでしょうか?
シャーロットのみが、SATCから全く変わっていません。見栄っ張りな自己チュー女は、何もかも「完璧」でないと気が済まない、はっきり言ってお友達にしたくないタイプです。養女リリーは神童ピアニスト、夫ハリー(エヴァン・ハンドラー)との間にもうけた次女ローズ(アレクサ・スウィントン)は、「女の子と呼ばないで!」と爆弾発言して、シャーロットはオロオロするばかり。友人アンソニーの助言は言い得て妙!と感心しました。
悩み事と言えば、黒人のお友達がいないこと!高ビー専業主婦シャーロットは、ドキュメンタリー制作に従事するママ友リサ・トッド・ウェックスリー(ニコール・アリ・パーカー)の友達の輪に入れてもらおうと、あの手この手でアプローチします。
「AND JUST LIKE THAT… / セックス・アンド・ザ・シティ新章」は、’末永く幸せに暮らしましたとさ’は、お伽話の結末で、現実はそんなに甘いものではない!とキャリーの喪失が教えてくれる、SATCよりも遥かに現実的なコメディです。但し、いくら現実的と言っても、架空の世界のこと。キャリー、シャーロット、ミランダは、いずれもお金に困ることがない悠々自適軍団。キャリーに至ってはビッグの遺産分割を巡って二番目の妻ナターシャ(ブリジット・モイナハン)と、ビッグの遺言状を話し合う逸話まで登場します。又、住み慣れたキャリーの古巣はそのまま残っていて、帰る場所があるからこそ、ビッグの思い出が詰まった億ションを手放すことに抵抗を感じませんし、夫に先立たれたからと言って、慌てて生活費を稼ぐ必要もありません。近年、「女三界に家なし」を身に沁みて感じている私には羨ましい話です。つまり、壮年期の生き辛さは、お金があればこんな感じ. . .ってことなんでしょうかね?5話以降の展開が楽しみです。
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◇Meg Mimura: ハリウッドを拠点に活動するテレビ評論家。Television Critics Association (TCA)会員として年2回開催される新番組内覧会に参加する唯一の日本人。Academy of Television Arts & Sciences (ATAS)会員でもある。アメリカ在住20余年。