注目トピックス
Vol.86 「ジャスティン・ビーバーの彼女」だけじゃない! スーパーアイドル、セレーナ・ゴメス PART 1
2011年12月12日
今年ハリウッドで最も騒がれ注目されたティーン・カップル、ジャスティン・ビーバーとセレーナ・ゴメス。日本ではセレーナの知名度が低かったため、ジャスティンと交際したことによりステップアップした、と書かれることも少なくありません。
しかし、セレーナはディズニー・チャンネルの会長が太鼓判を押した演技派アイドルであり、アメリカでは数年前からブレイクしていました。ジャスティンと交際する前から、彼女は大スターだったのです。
これから数回に分けて、「ウェイバリー通りのウィザードたち」でブレイクした、女優で歌手のセレーナ・ゴメスのバイオグラフィーを、ご紹介します!
■母は16歳、父は17歳
セレーナは、1992年の7月22日にテキサス州グランドプレーリーで生まれました。母親マンディ・コーネットはまだ16歳、父親リカルド・ゴメスも17歳で、いわゆる「できちゃったティーンカップル」だったのです。父親は、「風当たりは強かった、責任を感じたし大きな一歩だった」と回想。母親も、「責任重大だと感じた」とのこと。
幸い、母親の両親はこの若きカップルに理解を示し、救いの手を差し伸べました。家族3人は母親の両親と同居することが許され、学校に通う間はセレーナの面倒を見てくれることになったのです。
セレーナは、「祖母は13人の子供たちをいっぺんにベビーシットするような人だったの。私は大勢のいとこたちと本当の兄弟のように育ったのよ」「祖父母は私にとって第二の両親なの」と、インタビューで語っており、沢山の愛情を受けて育ったことを明かしています。
■両親の破局にセレーナは大荒れ
セレーナの両親は、高校に通う傍ら、いくつものバイトを掛け持ちし、家庭を持つ者として奮闘しました。しかし、まだまだ大人になりきれない両親は衝突するようになり、セレーナが5歳のとき破局してしまいました。
セレーナは、「両親が別れてしまうだなんて、全く理解できなかった」「母のせいだと思った。父、母、私は一緒に暮らす家族でいたかったのに、母がそれを壊したと思った。母を責めまくり、よく怒っていたわ。今は、とても悪いことをしたって思うけれど」と、荒れに荒れまくったことを告白しています。
母親は、「『ごめんね』としか言えなかった。とにかく彼女の怒りを黙って受け止めるしかなくて。『あなたにも分かる日が来るわよ』としか説明できなくって」「しばらくして『ママとパパは、別々の道に進むことになった、ってことね。分かったわ』って言ってくれたけど」と振り返っています。
一方、父親は、「セリーナが悲しむのを見るのが本当に辛かった」と言葉少なげに回想しています。
■女優を目指すきっかけは母親
大学に進学した母親は、学校に近くにアパートを借り、セリーナと母娘2人暮らしをスタートさせました。母親は、3つもバイトを掛け持ちしていたそうですが、生活は苦しく、車はガス欠でよく止まったとのこと。セレーナは車内のフットシートをめくって落ちてる小銭を集めたりしたそうです。
母親は、色々な生き方があるということをセレーナに見せたいと思っており、町の小さな劇場演劇に役者として出演するようになりました。セレーナは父親に連れられて、母のリハーサルをよく観に行ったそうです。
セレーナは「リハーサルを観るのが大好きで。母が舞台メイクをする姿もじっと見て学んだの」と振り返っています。そして、ある夜、セレーナは帰りの車中で母親に、「ママ、あのシーン、とてもよかったけど、こうしたらもっとよくなると思うの」と、こと細かくプロ並のアドバイスをしたとのこと。母親は、「その時『あぁ、この子は女優になるわ。きっと』と確信した」そうです。
この日を境に、“女優になりたい”と繰り返し訴えるようになったセレーナ。母親は「本当に?」と繰り返し聞き、セレーナは「YES!」と繰り返し主張しました。いとこには、「私は有名になるわ。ブリトニーのようにビッグになる!」と宣言していたそうです。
そんなセリーナに最初のチャンスがめぐってきたのは7歳の時のことでした。
<次回は、初めてのTV出演、大親友との出会い、苦しいイジメ、をご紹介します。お楽しみに!>
しかし、セレーナはディズニー・チャンネルの会長が太鼓判を押した演技派アイドルであり、アメリカでは数年前からブレイクしていました。ジャスティンと交際する前から、彼女は大スターだったのです。
これから数回に分けて、「ウェイバリー通りのウィザードたち」でブレイクした、女優で歌手のセレーナ・ゴメスのバイオグラフィーを、ご紹介します!
■母は16歳、父は17歳
セレーナは、1992年の7月22日にテキサス州グランドプレーリーで生まれました。母親マンディ・コーネットはまだ16歳、父親リカルド・ゴメスも17歳で、いわゆる「できちゃったティーンカップル」だったのです。父親は、「風当たりは強かった、責任を感じたし大きな一歩だった」と回想。母親も、「責任重大だと感じた」とのこと。
幸い、母親の両親はこの若きカップルに理解を示し、救いの手を差し伸べました。家族3人は母親の両親と同居することが許され、学校に通う間はセレーナの面倒を見てくれることになったのです。
セレーナは、「祖母は13人の子供たちをいっぺんにベビーシットするような人だったの。私は大勢のいとこたちと本当の兄弟のように育ったのよ」「祖父母は私にとって第二の両親なの」と、インタビューで語っており、沢山の愛情を受けて育ったことを明かしています。
■両親の破局にセレーナは大荒れ
セレーナの両親は、高校に通う傍ら、いくつものバイトを掛け持ちし、家庭を持つ者として奮闘しました。しかし、まだまだ大人になりきれない両親は衝突するようになり、セレーナが5歳のとき破局してしまいました。
セレーナは、「両親が別れてしまうだなんて、全く理解できなかった」「母のせいだと思った。父、母、私は一緒に暮らす家族でいたかったのに、母がそれを壊したと思った。母を責めまくり、よく怒っていたわ。今は、とても悪いことをしたって思うけれど」と、荒れに荒れまくったことを告白しています。
母親は、「『ごめんね』としか言えなかった。とにかく彼女の怒りを黙って受け止めるしかなくて。『あなたにも分かる日が来るわよ』としか説明できなくって」「しばらくして『ママとパパは、別々の道に進むことになった、ってことね。分かったわ』って言ってくれたけど」と振り返っています。
一方、父親は、「セリーナが悲しむのを見るのが本当に辛かった」と言葉少なげに回想しています。
■女優を目指すきっかけは母親
大学に進学した母親は、学校に近くにアパートを借り、セリーナと母娘2人暮らしをスタートさせました。母親は、3つもバイトを掛け持ちしていたそうですが、生活は苦しく、車はガス欠でよく止まったとのこと。セレーナは車内のフットシートをめくって落ちてる小銭を集めたりしたそうです。
母親は、色々な生き方があるということをセレーナに見せたいと思っており、町の小さな劇場演劇に役者として出演するようになりました。セレーナは父親に連れられて、母のリハーサルをよく観に行ったそうです。
セレーナは「リハーサルを観るのが大好きで。母が舞台メイクをする姿もじっと見て学んだの」と振り返っています。そして、ある夜、セレーナは帰りの車中で母親に、「ママ、あのシーン、とてもよかったけど、こうしたらもっとよくなると思うの」と、こと細かくプロ並のアドバイスをしたとのこと。母親は、「その時『あぁ、この子は女優になるわ。きっと』と確信した」そうです。
この日を境に、“女優になりたい”と繰り返し訴えるようになったセレーナ。母親は「本当に?」と繰り返し聞き、セレーナは「YES!」と繰り返し主張しました。いとこには、「私は有名になるわ。ブリトニーのようにビッグになる!」と宣言していたそうです。
そんなセリーナに最初のチャンスがめぐってきたのは7歳の時のことでした。
<次回は、初めてのTV出演、大親友との出会い、苦しいイジメ、をご紹介します。お楽しみに!>
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