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華麗なる カーダシアン/ジェンナー ファミリー: 突然女性に生まれ変わって世間をあっと言わせたブルース・ジェンナーとは?
2016年5月2日
ブルース・ジェンナー
毎年がドラマチックなカーダシアン/ジェンナー家。そんな一族にとって、2015年はクリスとブルースの離婚、ブルースの交通事故、キムの第二子妊娠/出産、カニエ・ウエストの2020年大統領出馬宣言、コートニーとスコット・ディックの破局、クロエとラマー・オドムの離婚手続き開始、ラマーが売春宿でODし意識不明となり緊急入院する騒動、クロエが離婚を取り下げラマーを献身的に看病、などなど、どの年よりも目まぐるしい1年となりました。
そんな中でも、最もドラマチックだったとされるのは、全米で大々的に報道された「ブルースがケイトリンという女性に生まれ変わった」ことでしょう。3度の結婚をし、6人の実子がいるブルースですが、「残りの人生を悔いなく過したい」と、幼い頃からトランスジェンダーだったことをカミングアウト。「カーダシアン家のお騒がせセレブライフ」のレギュラーは卒業し、現在は、ケイトリンとして新しい人生を歩む様子を紹介したリアリティ番組「I Am Cait(原題)」に出演。ある意味「カーダシアン家~」のスピンオフだと話題を集めています。
TVのインタビュー番組で質問に答えるケイトリン・ジェンナー(元ブルース・ジェンナー) (c)WENN.com
今回は、「カーダシアン家のお騒がせセレブライフ」にシーズン11までレギュラー出演していた、クリスの2番目の夫、ブルース・ジェンナーをご紹介します。
■難読症の少年が学校一の人気者に
2007年に放送開始した「カーダシアン家のお騒がせセレブライフ」(原題:"Keeping up with the Kardashians")のシーズン1第一話から、シーズン11まで「カーダシアン/ジェンナーファミリーの父親」としてレギュラー出演していた、ブルース・ジェンナー。
ブルースは、1949年10月28日、ニューヨーク郊外にあるマウント・キスコに生まれました。父親は樹木医で大自然に触れながらすくすくと育ったそうですが、小学校生活は辛くて辛くてたまらなかったとのこと。難読症であるため、勉強が大の苦手で、落ちこぼれだったからです。
しかし、小学5年生のときにスポーツを始めるようになると、彼の人生は一転。バスケットボール、レスリング、アメリカンフットボール。彼が不得意なスポーツはないというほど、どのスポーツでも優秀な成績を残すようになり、「勉強の苦手な落ちこぼれ」から「何でもトップのスポーツ少年」へと大変身。学校一の人気者になり、充実した学校生活を送るようになりました。
■オリンピック金メダリストとなり国民的ヒーローに!
スポーツ万能なブルースは最初、アメリカンフットボールのプロ選手を目指していました。しかし、大けがをしてしまい、断念。治療/リハビリの一環で始めたランニングで、とてつもない記録を出し周囲はびっくり仰天。けがをして落ち込んでいたブルースですが、「けがはしたけど、陸上だったらできるかも」と十種競技のトレーニングを開始。短期間で、全米トップに上り詰めたのです。
1972年、ミュンヘン・オリンピックにアメリカ代表として出場した時は10位という結果に終わりましたが、同年結婚した最初の妻の精神的、金銭的な支えを得ながら、練習に打ち込む日々を送るようになり、記録は順調に伸びていきました。
1975年の国際大会では世界記録を出し、アメリカは優勝。1976年のモントリオール・オリンピックでは世界新記録で金メダルを獲得。ブルースは国民的ヒーローとなりました。1978年には長男バートン、1980年には長女カッサンドラが生まれましたが、テレビ、CM、イベントの出演に引っ張りだこ状態と多忙で家族と過す時間は激減。セレブたちと交流するようになり彼の生活は激変してしまい、結局、最初の妻とは1980年に離婚してしまいました。
1980年には映画、テレビドラマ・デビューを果たし、ますますセレブになっていったブルース。1981年になると、エルヴィス・プレスリーの元恋人リンダ・トンプソンと再婚。同年次男になるブランドン、1983年には三男なるブロディが誕生しましたが、リンダとは上手く行かず1983年に離婚してしまいました。
リンダ・トンプソン (c)WENN.com
■4人の連れ子がいる同士の結婚
リンダと離婚後、間もなくしてブルースは友人から、「あなたにぴったりの女性が、友達にいる。ぜひ紹介したい」と言われます。この女性がクリスだったのです。友人は、デートをセットアップし2人を引き合わせたのですが、クリスは、最初、「冗談でしょ!わたしは4人の子持ちなのよ!」と断ったとのこと。一方、ブルースは、「僕には4人の子供がいる。彼女も4人の子持ち。こりゃ、運命的じゃないか!」とノリノリだったとか。
こうして会った2人は、すぐに意気投合。離婚も成立していないのに、男性との交際なんて考えられないと思っていたクリスでしたが、「女心がよく分かる、頼もしくて楽しい人」だとブルースに強く惹かれるように。ブルースは、クリスの子供たち~カーダシアン三姉妹とロブ~の扱いも上手く、最初は強い拒否反応を起こしたコートニーの気持ちも受け入れ、焦らずじっくりと向き合い、子供たちの信頼も得るようになりました。
(左から)コートニー・カーダシアン、キム・カーダシアン、クリス・ジェンナー、ブルース・ジェンナー (c)WENN.com
交際を始めて2年目、ブルースはクリスと結婚しようと決意します。しかし、クリスは最初の夫、ロバートと、金銭面で折り合いがつかず離婚が成立できておらず、不可能でした。このままではいけないと感じたブルースは、ロバートに直接連絡。「話をしたいので、一緒に食事をしよう」とアプローチし、その席で、「クリスも4人の子供たちも、自分がそのまま、全部引き受ける。だから、彼女には何も払わなくていい。金銭的な心配はしなくてもいい。自分が全責任を持つから」と説得。ロバートは、そこまでクリスのことを愛し、子供たちのことも考えてくれているのならと理解し、離婚に合意。
5ヶ月後、ブルースとクリスは8人の子供たちに見守られゴールインしたのでした。
クリス・ジェンナー(左)、ブルース・ジェンナー(右) (c)WENN.com
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次回は、OJ・シンプソン事件、キムのサクセス・ストーリーなどをご紹介します。お楽しみに!
そんな中でも、最もドラマチックだったとされるのは、全米で大々的に報道された「ブルースがケイトリンという女性に生まれ変わった」ことでしょう。3度の結婚をし、6人の実子がいるブルースですが、「残りの人生を悔いなく過したい」と、幼い頃からトランスジェンダーだったことをカミングアウト。「カーダシアン家のお騒がせセレブライフ」のレギュラーは卒業し、現在は、ケイトリンとして新しい人生を歩む様子を紹介したリアリティ番組「I Am Cait(原題)」に出演。ある意味「カーダシアン家~」のスピンオフだと話題を集めています。
TVのインタビュー番組で質問に答えるケイトリン・ジェンナー(元ブルース・ジェンナー) (c)WENN.com
今回は、「カーダシアン家のお騒がせセレブライフ」にシーズン11までレギュラー出演していた、クリスの2番目の夫、ブルース・ジェンナーをご紹介します。
■難読症の少年が学校一の人気者に
2007年に放送開始した「カーダシアン家のお騒がせセレブライフ」(原題:"Keeping up with the Kardashians")のシーズン1第一話から、シーズン11まで「カーダシアン/ジェンナーファミリーの父親」としてレギュラー出演していた、ブルース・ジェンナー。
ブルースは、1949年10月28日、ニューヨーク郊外にあるマウント・キスコに生まれました。父親は樹木医で大自然に触れながらすくすくと育ったそうですが、小学校生活は辛くて辛くてたまらなかったとのこと。難読症であるため、勉強が大の苦手で、落ちこぼれだったからです。
しかし、小学5年生のときにスポーツを始めるようになると、彼の人生は一転。バスケットボール、レスリング、アメリカンフットボール。彼が不得意なスポーツはないというほど、どのスポーツでも優秀な成績を残すようになり、「勉強の苦手な落ちこぼれ」から「何でもトップのスポーツ少年」へと大変身。学校一の人気者になり、充実した学校生活を送るようになりました。
■オリンピック金メダリストとなり国民的ヒーローに!
スポーツ万能なブルースは最初、アメリカンフットボールのプロ選手を目指していました。しかし、大けがをしてしまい、断念。治療/リハビリの一環で始めたランニングで、とてつもない記録を出し周囲はびっくり仰天。けがをして落ち込んでいたブルースですが、「けがはしたけど、陸上だったらできるかも」と十種競技のトレーニングを開始。短期間で、全米トップに上り詰めたのです。
1972年、ミュンヘン・オリンピックにアメリカ代表として出場した時は10位という結果に終わりましたが、同年結婚した最初の妻の精神的、金銭的な支えを得ながら、練習に打ち込む日々を送るようになり、記録は順調に伸びていきました。
1975年の国際大会では世界記録を出し、アメリカは優勝。1976年のモントリオール・オリンピックでは世界新記録で金メダルを獲得。ブルースは国民的ヒーローとなりました。1978年には長男バートン、1980年には長女カッサンドラが生まれましたが、テレビ、CM、イベントの出演に引っ張りだこ状態と多忙で家族と過す時間は激減。セレブたちと交流するようになり彼の生活は激変してしまい、結局、最初の妻とは1980年に離婚してしまいました。
1980年には映画、テレビドラマ・デビューを果たし、ますますセレブになっていったブルース。1981年になると、エルヴィス・プレスリーの元恋人リンダ・トンプソンと再婚。同年次男になるブランドン、1983年には三男なるブロディが誕生しましたが、リンダとは上手く行かず1983年に離婚してしまいました。
リンダ・トンプソン (c)WENN.com
■4人の連れ子がいる同士の結婚
リンダと離婚後、間もなくしてブルースは友人から、「あなたにぴったりの女性が、友達にいる。ぜひ紹介したい」と言われます。この女性がクリスだったのです。友人は、デートをセットアップし2人を引き合わせたのですが、クリスは、最初、「冗談でしょ!わたしは4人の子持ちなのよ!」と断ったとのこと。一方、ブルースは、「僕には4人の子供がいる。彼女も4人の子持ち。こりゃ、運命的じゃないか!」とノリノリだったとか。
こうして会った2人は、すぐに意気投合。離婚も成立していないのに、男性との交際なんて考えられないと思っていたクリスでしたが、「女心がよく分かる、頼もしくて楽しい人」だとブルースに強く惹かれるように。ブルースは、クリスの子供たち~カーダシアン三姉妹とロブ~の扱いも上手く、最初は強い拒否反応を起こしたコートニーの気持ちも受け入れ、焦らずじっくりと向き合い、子供たちの信頼も得るようになりました。
(左から)コートニー・カーダシアン、キム・カーダシアン、クリス・ジェンナー、ブルース・ジェンナー (c)WENN.com
交際を始めて2年目、ブルースはクリスと結婚しようと決意します。しかし、クリスは最初の夫、ロバートと、金銭面で折り合いがつかず離婚が成立できておらず、不可能でした。このままではいけないと感じたブルースは、ロバートに直接連絡。「話をしたいので、一緒に食事をしよう」とアプローチし、その席で、「クリスも4人の子供たちも、自分がそのまま、全部引き受ける。だから、彼女には何も払わなくていい。金銭的な心配はしなくてもいい。自分が全責任を持つから」と説得。ロバートは、そこまでクリスのことを愛し、子供たちのことも考えてくれているのならと理解し、離婚に合意。
5ヶ月後、ブルースとクリスは8人の子供たちに見守られゴールインしたのでした。
クリス・ジェンナー(左)、ブルース・ジェンナー(右) (c)WENN.com
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次回は、OJ・シンプソン事件、キムのサクセス・ストーリーなどをご紹介します。お楽しみに!
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