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華麗なる カーダシアン/ジェンナー ファミリー:キム・カーダシアンのサクセス・ストーリー PART1
2016年7月28日
キム・カーダシアン (2007年4月撮影)
カーダシアン一族とジェンナー姉妹が揃ってスキー旅行を楽しんでいる真っ最中の4月4日、交際相手のブラック・チャイナにプロポーズし、婚約したロブ・カーダシアン。プロポーズすることを聞かされていなかった一族は大激怒。それからというもの、ぎくしゃくした関係が続いています。
ロブ・カーダシアン(左)、ブラック・チャイナ (c)WENN.com
一方で、末っ子のカイリー・ジェンナーは、昔、チャイナと交際し子供まで儲けているタイガと上手くいかずに破局したものの、すぐに復縁。三女のクロエ・カーダシアンは、前に進みたいとラマー・オドムとの離婚を改めて申請。次女キム・カーダシアンの夫カニエ・ウエストはどぎついMVをリリースして、世間の顰蹙を浴びるなど、相変わらずドラマチックな人生を送っているカーダシアン/ジェンナー家の人々。
カニエ・ウェスト(左)、キム・カーダシアン (c)WENN.com
今回はそんな、カーダシアン家の最もお騒がせセレブのキム・カーダシアンのサクセス・ストーリーPART1を、ご紹介します。
■幼い頃から自己主張が強かったキム
カーダシアン家の中で一番知名度が高い、クリスが最初の夫ロバートとの間に儲けた次女、キム・カーダシアン。1980年10月21日にビバリーヒルズで誕生した彼女は、年子の姉コートニーと幼児期から大の仲良し。石橋を叩くタイプのコートニーに対して、キムは物心つく頃から強気で自分の意見を通したがる性格だったとのこと。クリスは2人に同じ服を着せ、まるで双子のように育てました。
(左から)コートニー、クロエ、キム、母クリス (c)WENN.com
弁護士だった父親ロバートは複数のビジネルを手がけており、その中でも音楽マーケティング会社「Movie Tunes」が大成功をおさめていました。母親クリスは専業主婦を経て、子供向けの人気高級ブティックを経営。世界展開する大企業の令嬢ではなかったものの、そこそこ金持ちの裕福な家庭に育ったキムは姉妹と共に、パリス・ヒルトンら、お金持ちセレブの子供たちが通うプリスクール(幼稚園)に入学。ハリウッドの華やかで優雅な顔、大きな落とし穴のある恐ろしい顔、2つの顔を見て育ちました。
華やかな世界の中にいるキムでしたが、週末ごとに遊びまくるような生活は送りませんでした。敬虔なクリスチャンであるクリスは、毎週日曜日、子供たちを教会に連れて行ったからです。また、厳しい校則で知られるカトリック女子私立学校に進学させられました。
■初体験はマイケル・ジャクソンの甥
11歳の時に両親が離婚。継父になったブルース・ジェンナーは元オリンピック選手で実業家。家庭はますます裕福になり、プールつきの大きな邸宅に住むようになりました。親のコネで14歳の誕生日はマイケル・ジャクソンのネバーランドで開催したほど。ここで知り合ったマイケルの甥、TJが、キムがバージンを捧げた相手だと伝えられています。
T J ジャクソン (c)WENN.com
家の中には素敵なもので溢れてしまいましたが、クリスは子供たちが高校生になると同時に「欲しいものがあったら、自分で稼いだお金で買いなさい」と言い、バイトすることを勧めました。そして、「カーダシアン家の家訓」だとして「18歳になったら、自分の力で生活をする」ことを約束させました。
コートニーは高校卒業後大学に進学しましたが、キムと妹のクロエは父親ロバートの音楽マーケティング会社でバイトするようになりました。ロバートは仕事を通して、娘たちに「生きる道筋」「情熱を注げるものは何か」を指南しました。
キムは父親のアドバイスを真剣に受け止め、大好きなファッション・ビジネスに挑戦しようと決意。「パパ、高級ブーツを8足買ってくれる?もちろん、お金は返すわ。利子つきでね」と頼みました。抜群のファッションセンスを持っていたキムは、次になにが流行るのか、そのアイテムをどこで一番安く仕入れることができるのかを、熟知していました。仕入れたアイテムはeBayに高値で出展し、たくさんの儲けを得るようになりました。
■人気ワードロープ・スタイリスト&ファッション・アドバイザーに
そんなある日、キムはゴッドファーザーとゴッドマザーである、シュガー・レイ・レナードと妻のベルナデッタの家に遊びに行きました。ベルナデッタは整理整頓が不得意でワードロープがめちゃくちゃだったとのこと。その悩みを聞いたキムは、「綺麗に整えて上げる!」とオファー。一晩で綺麗に仕上げたキムの才能を高く評価したベルナデッタはハリウッドのセレブ友達に口コミで宣伝し、シンディ・クロフォード、セリーナ・ウィリアムズ、ニッキー・ヒルトン、ニコール・リッチー、ブランディ、リンジー・ローハンから、ワードロープを手がけで欲しいと依頼されるようになりました。キムはこれに、最新ファッションアイテムを買い取ってもらうというサービスを加え、ワードロープ・スタイリストとしてだけでなく、ファッション・アドバイザーとしても評価されるように。ブランディとリンジーからは、パーソナル・スタイリストとしての仕事を与えてもらいました。
キム・カーダシアン(2000年撮影) (c)WENN.com
こうしてファッション業界の仕事を始めたキムですが、若かったこともあり、憧れていた女優になるという夢も捨てきれていませんでした。この迷いを、当時交際していた当時29歳だった音楽プロデューサーのデイモン・トーマスに相談していたところ、「状況を変えたいのなら、結婚しようか」と提案され、まだ19歳と若かったキムはラスベガス婚をすることに合意。キムは家族に知らせずに結婚し、その後も長い間打ち明けることができなかったため、バレたときはぎくしゃくしましたそうです。デイモンは人気歌手のジャスティン・テインバーレイクを手がけていた売れっ子だったため、彼と一緒になれば、キャリア的にも大きな転機になると打算したのかもしれません。
■最初の結婚は大失敗に終った
ちなみに、キムとデイモンが一緒に暮らしていた時期は短く、3年後、キムはDVやモラハラされることに堪えらないと離婚を申請。約10年後、その離婚関連書類がネットにリークした際、デイモンはメディアのインタビューを受け、「DVなんてしていない。彼女がそう主張したのは、より多くの慰謝料を得るため」「彼女は浮気していたんだ。ジェニファー・ロペスの元夫クリス・ジャッドとね」と主張。
デイモン・トーマス (c)WENN.com
「キムは歌詞執筆も歌もダンスも全部ダメ。才能がないから、メディアから注目を得るためなら何でもするんだ」「豊胸手術に脂肪吸引にも手を出した。美容整形フリークだ」「姉妹で助け合ってるって言っているけど、あの3姉妹は互いに嫉妬し合い足を引っ張っている」とディスりまくられ、世間から「キムは男運がない」と言われるようになりました。
■最愛の父親の死
結婚生活は上手くいきませんでしたが、「ワードロープ・スタイリスト」「ファッション・アドバイザー」の仕事は超順調だったキム。セレブのワードロープで彼らが着なくなった新品同様の古着を売りに出すというビジネスも始め、顧客はどんどん増えていきました。
家族に黙って結婚したキムに大激怒した父親ロバートでしたが、離婚を決意してからは、精神的にサポートをするように。離婚を優位にスムーズに進められるようにと手助けしました。このことでキムと父との関係は一層深まりましたが、悲しい出来事が起こります。父親が旅行先のイタリアで体調を崩し、帰国後、病院で精密検査を受けた結果、食道がんだと診断されてしまったのです。
父親は診断を受けたとき、すでに末期の状態で、2ヶ月後に59歳で死去しました。亡くなる前、ロバートはキムに「お前は大丈夫だ。そう信じている。お前は心配ない。でも、お前の姉、妹、弟は心配で仕方ない。お願いだから、お前が守ってやってくれ、頼んだぞ」と遺言を伝えたとのこと。ロバートが心配していたように、クロエは大打撃を受け摂食障害を発症。ロブも、勉強やスポーツで父親の期待に応えられなかった自分を責め、子供たちは精神的に辛い日々を送るようになりました。
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次回は、キムのサクセス・ストーリー PART2です。お楽しみに!
ロブ・カーダシアン(左)、ブラック・チャイナ (c)WENN.com
一方で、末っ子のカイリー・ジェンナーは、昔、チャイナと交際し子供まで儲けているタイガと上手くいかずに破局したものの、すぐに復縁。三女のクロエ・カーダシアンは、前に進みたいとラマー・オドムとの離婚を改めて申請。次女キム・カーダシアンの夫カニエ・ウエストはどぎついMVをリリースして、世間の顰蹙を浴びるなど、相変わらずドラマチックな人生を送っているカーダシアン/ジェンナー家の人々。
カニエ・ウェスト(左)、キム・カーダシアン (c)WENN.com
今回はそんな、カーダシアン家の最もお騒がせセレブのキム・カーダシアンのサクセス・ストーリーPART1を、ご紹介します。
■幼い頃から自己主張が強かったキム
カーダシアン家の中で一番知名度が高い、クリスが最初の夫ロバートとの間に儲けた次女、キム・カーダシアン。1980年10月21日にビバリーヒルズで誕生した彼女は、年子の姉コートニーと幼児期から大の仲良し。石橋を叩くタイプのコートニーに対して、キムは物心つく頃から強気で自分の意見を通したがる性格だったとのこと。クリスは2人に同じ服を着せ、まるで双子のように育てました。
(左から)コートニー、クロエ、キム、母クリス (c)WENN.com
弁護士だった父親ロバートは複数のビジネルを手がけており、その中でも音楽マーケティング会社「Movie Tunes」が大成功をおさめていました。母親クリスは専業主婦を経て、子供向けの人気高級ブティックを経営。世界展開する大企業の令嬢ではなかったものの、そこそこ金持ちの裕福な家庭に育ったキムは姉妹と共に、パリス・ヒルトンら、お金持ちセレブの子供たちが通うプリスクール(幼稚園)に入学。ハリウッドの華やかで優雅な顔、大きな落とし穴のある恐ろしい顔、2つの顔を見て育ちました。
華やかな世界の中にいるキムでしたが、週末ごとに遊びまくるような生活は送りませんでした。敬虔なクリスチャンであるクリスは、毎週日曜日、子供たちを教会に連れて行ったからです。また、厳しい校則で知られるカトリック女子私立学校に進学させられました。
■初体験はマイケル・ジャクソンの甥
11歳の時に両親が離婚。継父になったブルース・ジェンナーは元オリンピック選手で実業家。家庭はますます裕福になり、プールつきの大きな邸宅に住むようになりました。親のコネで14歳の誕生日はマイケル・ジャクソンのネバーランドで開催したほど。ここで知り合ったマイケルの甥、TJが、キムがバージンを捧げた相手だと伝えられています。
T J ジャクソン (c)WENN.com
家の中には素敵なもので溢れてしまいましたが、クリスは子供たちが高校生になると同時に「欲しいものがあったら、自分で稼いだお金で買いなさい」と言い、バイトすることを勧めました。そして、「カーダシアン家の家訓」だとして「18歳になったら、自分の力で生活をする」ことを約束させました。
コートニーは高校卒業後大学に進学しましたが、キムと妹のクロエは父親ロバートの音楽マーケティング会社でバイトするようになりました。ロバートは仕事を通して、娘たちに「生きる道筋」「情熱を注げるものは何か」を指南しました。
キムは父親のアドバイスを真剣に受け止め、大好きなファッション・ビジネスに挑戦しようと決意。「パパ、高級ブーツを8足買ってくれる?もちろん、お金は返すわ。利子つきでね」と頼みました。抜群のファッションセンスを持っていたキムは、次になにが流行るのか、そのアイテムをどこで一番安く仕入れることができるのかを、熟知していました。仕入れたアイテムはeBayに高値で出展し、たくさんの儲けを得るようになりました。
■人気ワードロープ・スタイリスト&ファッション・アドバイザーに
そんなある日、キムはゴッドファーザーとゴッドマザーである、シュガー・レイ・レナードと妻のベルナデッタの家に遊びに行きました。ベルナデッタは整理整頓が不得意でワードロープがめちゃくちゃだったとのこと。その悩みを聞いたキムは、「綺麗に整えて上げる!」とオファー。一晩で綺麗に仕上げたキムの才能を高く評価したベルナデッタはハリウッドのセレブ友達に口コミで宣伝し、シンディ・クロフォード、セリーナ・ウィリアムズ、ニッキー・ヒルトン、ニコール・リッチー、ブランディ、リンジー・ローハンから、ワードロープを手がけで欲しいと依頼されるようになりました。キムはこれに、最新ファッションアイテムを買い取ってもらうというサービスを加え、ワードロープ・スタイリストとしてだけでなく、ファッション・アドバイザーとしても評価されるように。ブランディとリンジーからは、パーソナル・スタイリストとしての仕事を与えてもらいました。
キム・カーダシアン(2000年撮影) (c)WENN.com
こうしてファッション業界の仕事を始めたキムですが、若かったこともあり、憧れていた女優になるという夢も捨てきれていませんでした。この迷いを、当時交際していた当時29歳だった音楽プロデューサーのデイモン・トーマスに相談していたところ、「状況を変えたいのなら、結婚しようか」と提案され、まだ19歳と若かったキムはラスベガス婚をすることに合意。キムは家族に知らせずに結婚し、その後も長い間打ち明けることができなかったため、バレたときはぎくしゃくしましたそうです。デイモンは人気歌手のジャスティン・テインバーレイクを手がけていた売れっ子だったため、彼と一緒になれば、キャリア的にも大きな転機になると打算したのかもしれません。
■最初の結婚は大失敗に終った
ちなみに、キムとデイモンが一緒に暮らしていた時期は短く、3年後、キムはDVやモラハラされることに堪えらないと離婚を申請。約10年後、その離婚関連書類がネットにリークした際、デイモンはメディアのインタビューを受け、「DVなんてしていない。彼女がそう主張したのは、より多くの慰謝料を得るため」「彼女は浮気していたんだ。ジェニファー・ロペスの元夫クリス・ジャッドとね」と主張。
デイモン・トーマス (c)WENN.com
「キムは歌詞執筆も歌もダンスも全部ダメ。才能がないから、メディアから注目を得るためなら何でもするんだ」「豊胸手術に脂肪吸引にも手を出した。美容整形フリークだ」「姉妹で助け合ってるって言っているけど、あの3姉妹は互いに嫉妬し合い足を引っ張っている」とディスりまくられ、世間から「キムは男運がない」と言われるようになりました。
■最愛の父親の死
結婚生活は上手くいきませんでしたが、「ワードロープ・スタイリスト」「ファッション・アドバイザー」の仕事は超順調だったキム。セレブのワードロープで彼らが着なくなった新品同様の古着を売りに出すというビジネスも始め、顧客はどんどん増えていきました。
家族に黙って結婚したキムに大激怒した父親ロバートでしたが、離婚を決意してからは、精神的にサポートをするように。離婚を優位にスムーズに進められるようにと手助けしました。このことでキムと父との関係は一層深まりましたが、悲しい出来事が起こります。父親が旅行先のイタリアで体調を崩し、帰国後、病院で精密検査を受けた結果、食道がんだと診断されてしまったのです。
父親は診断を受けたとき、すでに末期の状態で、2ヶ月後に59歳で死去しました。亡くなる前、ロバートはキムに「お前は大丈夫だ。そう信じている。お前は心配ない。でも、お前の姉、妹、弟は心配で仕方ない。お願いだから、お前が守ってやってくれ、頼んだぞ」と遺言を伝えたとのこと。ロバートが心配していたように、クロエは大打撃を受け摂食障害を発症。ロブも、勉強やスポーツで父親の期待に応えられなかった自分を責め、子供たちは精神的に辛い日々を送るようになりました。
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次回は、キムのサクセス・ストーリー PART2です。お楽しみに!
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