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海外ドラマ・スター True Story~海ドラ・セレブの人生はドラマティック!~詳細

Vol.17 『ER』ジョージ・クルーニー スターダムへ苦難の道

2006年1月6日
何事にも動じないような雰囲気のジョージ・クルーニーですが、実は地震恐怖症なのです。マックスという名前の豚をペットにしたりとチャーミングなジョージ・クルーニーに今回も迫ってみます!

ジョージ初出演の映画は『And They’re Off』ノーザン・ケンタッキー大学に進んだ後も、野球青年として過ごしたジョージ・クルーニー。当時は役者になるなど考えもしなかったとのことですが、念願であった地元球団シンシナティ・レッズの入団テストに落ちたことが大きな転機となります。

プロ野球選手になるという夢が敗れ失意の底に落ちたジョージに、叔父のホセ・フェラーが「気分転換に」と自分がプロデュースした競馬映画のちょい役をしないかと持ちかけたのです。『And They’re Off』というタイトルのこの映画は結局放映されることはなかったのですが、ジョージは演技の面白さを知り役者になることを心に決めるのです。

決心したら即実行というタイプのジョージでしたが、父親は大学を中退してロサンゼルスに移ることに反対。せめて大学を出ていれば、役者として失敗しても苦労なく他の道に進めるとアドバイスしたものの「苦労なく他の道に進めるとわかったら、絶対にそうしてしまう」と反論。1982年の夏、ジョージはタバコの量を減らして貯めたお金300ドルを手にロサンゼルスに移り住んだのでした。

長続きしないドラマばかりに出演ロサンゼルスに来て、まずジョージが向かった先は、叔母で歌手のローズ・マリー・クルーニーの自宅でした。ローズ・マリーは、とりあえず彼を全米コンサートツアーバスのドライバーとして採用し、世間が甘くないことを教えたのです。

ツアーから戻ってきたジョージは、片っ端からオーディションに受けました。そして、いくつかのTVコマーシャルに出演した後、ワーナー・ブラザース社と契約を結ぶことになったのです。同じ時期に演劇のレッスンも受けるようになります。

と、ここまでは順調だったのですが、ここからが大変でした。1990年代に入っても、主役はおろか脇役としても仕事に恵まれない日々が続くのです。この間、ジョージは15もの不評でレギュラー番組になれなかったパイロット版に出演。また、7つのドラマにセミレギュラーとして出演し、大人気シットコム『Roseanne』や『The Facts of Life』にも出演したのですが得に注目されたりブレイクすることもありませんでした。

訪問セールスマンもしていたジョージ
この頃出演したドラマの中には、なんと『E/R』という番組もあるのです!シカゴが舞台のシットコムで医者の役を演じたもののドラマはヒットせずに終わってしまいました。

役者として生計をたてるのが難しかった頃、ジョージは様々なバイトを経験しました。ショッピング・モールで似顔絵を描いたり、レモネード・スタンドで販売員をしたり、生命保険を売る訪問セールスのバイトもしたことがあるのです。

1994年に爆発的ヒット作となったヒューマンドラマ『ER』に出演し大ブレイク。その後数多くのヒット映画に出演、制作まで手掛けるハリウッドスターとしての現在のジョージ・クルーニーにも長くて辛い下積み時代があったのでした。

<次回はジョージ・クルーニーの恋愛歴をご紹介します。お楽しみに!>