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Vol.44 「ビバヒル」シャナン・ドハーティー 降板の真相?

2008年4月28日
© Glenn Harris / PR Photos
2年前、TCAプレス・イベントで「ビバヒル」時代のワイルドな私生活を振りかって一言」と問われたシャナン・ドハーティーは、ムッとすることなく「本当に悪いことばかりしていたわ」「しかも、自ら進んで悪いことをしていたのよね」と言い、「迷惑や心配をかけた人、ファンの人たちに対してすまないと思う」と涙ぐみました。

後悔している、とも言ったシャナンですが、若くて仕事も絶好調だった彼女が暴走してしまったのは、ある意味仕方ないことだったのでしょう。「ビバヒル」製作総指揮者であるアーロン・スペリングも、仕事に支障をもたらす程私生活が荒れるのは、一時的なものだから心配ないだろうとコメントしていました。

今回もドラマチックな人生を歩み続けるシャナン・ドハーティーの「ビバヒル」時代をご紹介します。

警察沙汰続きの婚約
有名コスメ「マックス・ファクター」の御曹司ディーン・ファクターと電撃婚約したシャナンでしたが、婚約してもDV騒動は絶えず警察沙汰に発展したことも一度や二度ではありませんでした。そして、映画「イン ボンテージ殺人療法」で共演したジャド・ネルソンとシャナンが浮気しているとの噂が流れ出すと、DV騒ぎはさらにエスカレートしていったのです。

ちなみにDVの訴えを起こすのはディーンからが大半で、病院で診断を受け撮影された彼の写真を見ると、かなり酷い暴力を受けていたことが伺い知ることができます。ただ、シャナンいわく「身の危険を感じたから対抗しただけ」「抵抗しなければ殺されていたかもしれない」とのことなので、このDV騒動の真相は2人だけにしか分からないことなのでしょう。

婚約者をDV罪で訴える、を繰り返した2人は当然のように婚約解消。破局となってしまいます。この際ディーンはシャナンに対して接近禁止命令を裁判所に要請。最終的には和解したものの、ディーンとの関係は彼女にとって大きなダメージとなってしまったのでした。

交際開始2週間後に結婚
1993年7月7日、「ビバヒル」の登場人物たちはシニアへと進学。ドラマの人気は相変わらずでしたが、撮影現場ではシャノンに対する風当たりが強くなっていました。私生活が忙しいから仕事がおろそかになってしまいうのか、仕事場の雰囲気が悪くストレスが溜まるから私生活が荒れるのか、難しいところでしょうが、シャナンはこの頃から遅刻の常習犯となっていったのです。

私生活では、ディーンと婚約中浮気したと噂されたジャド・ネルソンと交際をスタート。ワイルドカップルの誕生とされましたが短期間で別れ、「ダイナスティー」などに出演している俳優で監督のジョージ・ハミルトンの息子アシュリー・ハミルトン(「OZ/オズ」などに出演)と麻薬中毒リハビリ・プログラムで知り合い急接近します。

そして、なんと交際開始2週間後にハミルトン家の庭で結婚式を挙げてしまったのです。

「ビバヒル」では浮いた存在に
私生活が忙しくなり、仕事よりもプライベートを優先しがちになってきたシャナン。居心地の悪い撮影現場の雰囲気から逃れたいからか、体調不良を理由に撮影をよく休むようになっていました。

「ビバヒル」の撮影現場では「時間通りに現場入りしない」「台詞を覚えて来ない」とシャナンに対する不満がますます高まり、とうとうキャストたちが「もうシャナンと働きたくない」とまで言い出すようになってしまったのです。

最初はシャナンに同情的だったクリエーターたちも、ここまで孤立してしまうと難しいと感じたのでしょう。1993年12月16日、スペリング・テレビジョンはシャノンと契約更新はせず「ビバヒル」第5シーズンからは降板してもらうと発表。「ビバヒル」は自分の人気で視聴率を稼ぎ出していたというプライドのあったシャナンは精神的にかなり打撃を受けたと後にインタビューで語っています。

離婚後ヌードに!
職を失い落ち込んだシャナンをさらなる不幸が襲います。1994年3月、結婚生活たったの半年でアシュリーと破局してしまったのです。何とか運の流れを変えようと必死になったシャナンは、恩師であるアーロン・スペリングを激怒させることを承知でプレイボーイの表紙を飾ってしまいます。

全てをさらけ出し「ビバヒル」ファンにも衝撃を与えたシャナンは、この直後、ヨーロッパを巡る旅に出ます。この旅行はかなりリフレッシュになったとのことで、帰国後コメディ映画「モール・ラッツ青春白書!?」に出演。インディ映画界で有名な存在だったケヴィン・スミスが手掛けることもあり、撮影中から映画は多くの注目を集めました。

1995年10月20日、映画は一般公開されましたが、予想を大きく下回り大コケしてしまいました。多くの人々が「シャナンはTVスターであって、銀幕では輝けない」と思うようになり、シャナン自身もそう実感したのか、テレビ映画を中心に仕事をするようになっていったのです。

<次回は「アンガー・マネージメントを流行らせたシャナンの事件」など、です。お楽しみに!>