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Vol.80 「アメリカン・アイドル」が生んだ大スター アダム・ランバート  PART 1

2011年6月7日
現在、アメリカでシーズン10が放送されている、国民的オーディション番組「アメリカン・アイドル」。今期からジェニファー・ロペスとスティーヴン・タイラーの二大スターが審査員となり、相変わらず視聴率トップを独走しています。

「アメリカン・アイドル」は、これまで何人かのスターを生み出してきました。その中でも、断トツの人気と注目を集めているのが、アダム・ランバートです。

アダムは「アメリカン・アイドル」シーズン8で準優勝し、2009年11月にデビューアルバム「For Your Entertainment」を発表しています。

これから数回に分けて、「アメリカン・アイドル」がきっかけで世界的にブレイクした、歌手のアダム・ランバートのバイオグラフィーを、ご紹介します!

■よく泣いた赤ん坊時代
アダムは、1982年の1月29日にインディアナ州インディアナポリスで生まれました。

母親は「1日のうちに23時間泣き続けるような赤ん坊だった」と回想。父親も、「こう言っちゃいけないけど、まるで悪魔のような赤ん坊だった。とにかく本当によく泣いていたねぇ」と振り返っています。

その泣き方も凄まじいものだったらしく、父親は「アダムの力強くてパワフルな声量は、赤ん坊のころによく泣いて肺活量が鍛えられたからに違いない」と言っているほど。

父親は、アダムが1歳のときにコンピューター・エンジニアの職に就き、一家はカリフォルニアへと移住。その1年後、弟ニールが誕生し、アダムは環境がとてもよいサンディエゴ近郊で、弟と遊びまくりながらスクスクと成長しました。

ちなみに、ニールとは仲が良い兄弟だったものの、喧嘩もよくしたと、アダムは米E!のインタビューで、とても楽しそうに語っています。

■変わった子だったアダム
子供の頃、アダムが大好きだった遊びは、ハロウィーンのコスチュームを身にまとい、気に入った曲を流して、踊りながら口パクをすることだったそうです。

ありあまるエネルギーを持て余していることに気が付いていた両親は、サッカーなどスポーツ・チームに入れさせましたが、反応はイマイチ。

8歳のとき、「これはどうかしら?」と入れた子供演劇教室(Children’s Theater Network)で、アダムは目を輝かせました。教室に入った瞬間、「ここが自分の居場所だ!」と確信したそうです。

アダムは「両親はボクが変わった子だってことを恥じることもなく、つぶさずに大事に育んでくれたんだ。こうしなさい!ああしなさい!と、ボクの気持ちを箱にギューギュー押し込めるようなことは決してしなかった」とコメント。

伸び伸びと育ててくれ、また演劇の道を勧めてくれた両親に深く感謝していることを、多くのインタビューで明かしています。

■何よりも歌が好き!
舞台で水を得た魚のようにイキイキと演技をしたアダムは、10歳のときにCMデビューをしました。不動産会社センチュリー21の短いテレビコマーシャルで、家の前庭で犬を追いかけて走るという台詞も顔のアップもない小さな役だったのですが、アダムは大興奮したそうです。

どんどんと演劇にのめりこんでいるように見えたアダムですが、彼が本当にハマっていたのは「歌」だったそう。

両親も、演劇学校の舞台(ミュージカル)で歌をうたっているアダムを見て、「こんなに楽しそうに歌っているなんて!ぜひ専門の先生からレッスンを受けさせてあげたい」と思い、アダムは10歳でヴォイス・トレーニングをスタート。

コーチを務めたリン・ブロイルズは「一番初めのレッスンで、アダムに『それじゃ、歌いましょう』と言ったら、『先生、ボクはただ歌うだけ、というのはしたくない。自分がどうしたら、どういう歌声を出せるのか、理解しながら歌いんだ』と言ったので、びっくりした」「アダムは神さまから素晴らしい贈り物をもらって生まれてきたと信じていた。10歳でそう強く信じられるだなんて、本当に素晴らしいと思ったわ」と回想しています。

このように、両親に大きな愛で包まれ、素敵な幼少時代を過ごしてきたアダムでしたが、6年生のときに大きな壁にぶち当たることになってしまうのです。

<次回は、セクシュアリティに悩み、友達もいなかった、アダムの悲しい思春期、そして、自分の道をみつけた経緯をご紹介します。お楽しみに!>