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オースティン・マホーン、デビューから日本での大ブレイクまでを振り返る! 順風満々に見えるキャリアの裏では絶え間ない努力があった
2017年12月27日
オースティン・マホーン
2017年洋楽界最大のハイライトとなったのは、邦・洋の垣根を取っ払い売れに売れたオースティン・マホーンの「ダーティ・ワーク」の大ヒットだろう!女性ピン芸人、ブルゾンちえみさんの大ブレイクと共に、彼女のネタに使われた「ダーティ・ワーク」はあらゆるメディアに露出し、耳に入らない日がないくらい浸透したのだった。
それにともなって、オースティン自身もこまめに来日し、’17年は合計5回来日し(12月中旬現在までに)、歌番組のみならず、バラエティ番組など数多くのテレビ番組に出演し、パフォーマンスを披露。チャーミングな魅力を振りまいたのだった。しかも年末にかけ、再来日の予定もある上、もしかしてNHKのあの 番組にも出るんじゃないか!? という噂もあり、洋楽アーティストとしては別格とも言える存在にのぼりつめつつある。とは言え、オースティンをデビュー前、16歳の時から注目し、取材を続けてきたイン・ロックとしてはやっと日本が、そして世間が彼に気づいた!という思いがある。
今回ブルゾンちえみさんのお陰でいいきっかけができたとはいえ、オースティンは5年前デビューした時から、ジャスティン・ビーバーの後継者と呼ばれ、マホーミーズと呼ばれる熱血ファンを世界中に増殖させていたのだ。それはMTVビデオ・ミュージック・アワーズ(MVA)やMTVヨーロッパ・ミュージック・アワーズ、ティーン・チョイス・アワーズなど、有名な音楽賞の受賞歴でも証明されている。また、マクドナルドの全米CMに起用されたことも、その注目度を表しているだろう。一時期アメリカのティーン誌の表紙に出ずっぱりだったのも付け加えたい。アメリカ、ヨーロッパではアイドルの最前線にいたのだ。
そんなオースティンだが、日本との繋がりもまた、深く長い。アメリカでレコード契約をした直後、彼の才能、可能性に着眼し、日本のレーベルが一大プロジェクトを立ち上げたのである。我々イン・ロックもデビュー前からカラー特集を組み、表紙にさえ起用している。それもこれも、彼の日本での成功を信じる関係者の熱意に動かされたせいだと今でも思う。
そんなわけで、私たちがまだ16歳のオースティンに初めて取材を敢行したのは、彼がアメリカでレコード契約を結んだわずか4カ月後のことだった(2012年12月)。初めて話をしたオースティンは、あまり口数が多くなく、静かな印象で、意外な感じだった。ポツポツと話してくれる彼の言葉をまとめると、“学生時代、僕は基本的に静かだったよ。あまり話さなかったし、無口な方でね。本当に普通の子で、だから人気者でもなかったんだ…”。
しかし、地味だとか普通だとか思っていたのは、オースティン本人だけではなかったのか?秘かにオースティンの魅力に気づいていた同級生の女の子たちは、渋る彼を説得し学校主催のタレント・ショーに出場させたのだった。
“出場してみたら、優勝したんだ。あの時は本当に興奮したよ。あまりにも女の子たちがしつこく言うから、嫌々出たのにさ”
彼はその少し前からネットの世界では徐々にファンを増やしていた。14歳になったオースティンは、親友のアレックスと組んで、様々なヒット曲をYouTubeにアップし始めたのだった。もし興味があるならYouTubeで観てみるといい。もう7年前の映像なのに、今でも残っていて、あどけない表情のオースティンが、ギターを弾きながらジャスティン・ビーバーの「ベイビー」を歌っている。ジャスティンより低めの声で、朗々と歌いあげるオースティン。なるほど人気が出るわけだ…。
【動画】オースティン・マホーン、「ベイビー」カバー
そうやってカバーしたヒット曲をYouTubeにあげる内、ファンはどんどん増えていき、オースティンは需要に応えるべく「11:11」(2012年2月)、「セイ・サムシン」(2012年6月)という2枚のシングルをネット・リリースした。そしてその間YouTubeにアップしたジャスティン・ビーバーの「君とホワイト・キス」で増々ファンを増やしたオースティンは、2012年8月、16歳の時レコード会社と契約し、プロのアーティストとしてスタートを切ったのである。その2カ月後、彼はプロモーションのために、イギリスのロンドンを訪れたが、弊社ロンドン特派員によると、彼が収録に向かったテレビ局前には、約2000人のティーンが集まり、ヒステリックなくらいオースティンに夢中だったという。
【動画】オースティン・マホーン「セイ・サムシン」
彼が初来日を果たしたのは17歳の時。2013年6月上旬だった。その後2回目の来日では、お台場合衆国の特設ステージでライヴをやるというので、一日密着したのだが、当時ポップスターは歌って踊れるのが基本で、炎天下の中、4人の黒人ダンサーを従えたオースティンは、激しい動きのダンス・ルーティンを何度も繰り返し練習していた。今だから言ってしまうが、一生懸命リハをやり過ぎた彼は、本番前に熱中症を起こしていたくらいだ。とにかくオースティンは踊る。マイケル・ジャクソンやジャスティン・ティンバーレイクばりに踊る。本番ライヴを観て、バックで踊るプロ・ダンサーよりオースティンの方が踊れるのにびっくりしたくらいだ。
チームに同行していたコレオグラファーのスキーナ先生が言うには、オースティンは元々まるで踊れなかったのだという。けれどポップスターとしてブレイクするためには踊れることが必要と判断した彼は、クリス・ブラウンの振り付けをやっていた超一流のコレオグラファー、スキーナ先生と契約し、僅か1年3カ月でダンサー顔負けに踊れるパフォーマーへと成長したのだった。ステージで素晴らしい踊りを見せる教え子に、スキーナ先生は本当に誇らしげにしていた。もうひとりニコニコと彼を見守っていたのは、オースティンのスタイリストを務めていた彼のママ、ミシェルだ。夫であるチャールズ・E・マホーンを、息子オースティンが生後16カ月の時に亡くし、以来シングル・マザーとしてオースティンを育ててきた。オースティンが6歳の時、彼が欲しがったドラム・セットをクリスマスにプレゼントしてくれ、それが彼が音楽にのめり込むきっかけになったという。
未成年の息子を心配して、数年前まで一緒に来日していたママ。そんな母に感謝を込め、オースティンはレコード会社と契約した時、車を贈っている。私もママと話す機会が何度もあったが、アメリカ南部の人らしく信仰深く、そして常識をきちんと持った人、という印象だった。あたたかくて、息子への信頼をためらいなく口にする、善きアメリカのママ、とでも言ったらいいのだろうか?成功やお金を若くして手に入れると、自分を見失ってしまうスターは多いが、この人の息子なら大丈夫、そう思わせるママだった。
順風満帆に見えるオースティンのキャリアだが、2015年夏頃、突然彼はレコード契約を失くしてしまう。ちょうど「ダーティ・ワーク」を発表した直後と思われる。オースティンは19歳になっていた。この曲は、年末に予定されていたオースティンのファースト・アルバムからの先行シングルだったのだが、レコード契約自体がなくなり、アルバムも出せなくなってしまった。CDショップが存在しないアメリカでは、若いアーティストがアルバムを出せることはあまりない。オースティンも残念ながらせっかく作ったアルバムを発表することなく、契約を失くしたわけだ。
そして彼はそのアルバムに収録するつもりだった曲を、ミックステープ「ディス・イズ・ノット・ジ・アルバム」というタイトルで、無料ダウンロードさせてしまう。クリス・ブラウンとコラボした曲や「ダーティ・ワーク」のリミックスが入った、充実した内容だったのにびっくりである。
そしてその1年後、「フォーミー+ユー」というミックステープを出している。どちらもファンのために無料で出したというオースティン。それでお金が入ってくることはなかったが、彼のアーティストとしての成長と頑張りを感じることができる。意外と知られてないことだが、オースティンは音楽馬鹿と言っていいくらい、いつも音楽にのめり込んでいて、自宅でもツアー中でもコンパクトなレコーディング機材を携行していて、曲作りを続けている。ざっくり1年で90曲くらい書くそうだ。
“日本にスタジオを持ってきたしね。いつでも好きな時に曲が書けるように。曲を書くのもプロデュースするのも大好きだからね。凄く楽しいんだ”
ちなみに「ディス・イズ・ノット・ジ・アルバム」に入っている「サムシング・ソー・リアル」は日本で書いた曲である。メジャーとの契約がなくなった後、自主レーベルを立ち上げたオースティン、日本のレーベルとは直接契約を結んでいる。
【動画】オースティン・マホーン「サムシング・ソー・リアル」
そんな彼に焦りは見えない。今の時代、レーベルがバックにつかないと活動できないわけではないから。ましてや彼のスタッフは、マネージャーも含め、デビュー当時からオースティン一筋でファミリーのような存在。しっかり精神面もバックアップしてくれるのだろう。
“ここ1年僕にとって大事なのは、大規模で素晴らしいショーを沢山やったことだね。常に新しい曲をリリースしながら、どんどん大きなショーを増やしていく、アーティストとしてそれが一番重要なんだよ。止まっちゃいけないんだ。前進し続けるのみさ”
21歳になったオースティン、1本芯の通ったアーティストに成長してくれた。
株式会社インロック 代表取締役 加藤有子
それにともなって、オースティン自身もこまめに来日し、’17年は合計5回来日し(12月中旬現在までに)、歌番組のみならず、バラエティ番組など数多くのテレビ番組に出演し、パフォーマンスを披露。チャーミングな魅力を振りまいたのだった。しかも年末にかけ、再来日の予定もある上、もしかしてNHKの
今回ブルゾンちえみさんのお陰でいいきっかけができたとはいえ、オースティンは5年前デビューした時から、ジャスティン・ビーバーの後継者と呼ばれ、マホーミーズと呼ばれる熱血ファンを世界中に増殖させていたのだ。それはMTVビデオ・ミュージック・アワーズ(MVA)やMTVヨーロッパ・ミュージック・アワーズ、ティーン・チョイス・アワーズなど、有名な音楽賞の受賞歴でも証明されている。また、マクドナルドの全米CMに起用されたことも、その注目度を表しているだろう。一時期アメリカのティーン誌の表紙に出ずっぱりだったのも付け加えたい。アメリカ、ヨーロッパではアイドルの最前線にいたのだ。
そんなオースティンだが、日本との繋がりもまた、深く長い。アメリカでレコード契約をした直後、彼の才能、可能性に着眼し、日本のレーベルが一大プロジェクトを立ち上げたのである。我々イン・ロックもデビュー前からカラー特集を組み、表紙にさえ起用している。それもこれも、彼の日本での成功を信じる関係者の熱意に動かされたせいだと今でも思う。
そんなわけで、私たちがまだ16歳のオースティンに初めて取材を敢行したのは、彼がアメリカでレコード契約を結んだわずか4カ月後のことだった(2012年12月)。初めて話をしたオースティンは、あまり口数が多くなく、静かな印象で、意外な感じだった。ポツポツと話してくれる彼の言葉をまとめると、“学生時代、僕は基本的に静かだったよ。あまり話さなかったし、無口な方でね。本当に普通の子で、だから人気者でもなかったんだ…”。
しかし、地味だとか普通だとか思っていたのは、オースティン本人だけではなかったのか?秘かにオースティンの魅力に気づいていた同級生の女の子たちは、渋る彼を説得し学校主催のタレント・ショーに出場させたのだった。
“出場してみたら、優勝したんだ。あの時は本当に興奮したよ。あまりにも女の子たちがしつこく言うから、嫌々出たのにさ”
彼はその少し前からネットの世界では徐々にファンを増やしていた。14歳になったオースティンは、親友のアレックスと組んで、様々なヒット曲をYouTubeにアップし始めたのだった。もし興味があるならYouTubeで観てみるといい。もう7年前の映像なのに、今でも残っていて、あどけない表情のオースティンが、ギターを弾きながらジャスティン・ビーバーの「ベイビー」を歌っている。ジャスティンより低めの声で、朗々と歌いあげるオースティン。なるほど人気が出るわけだ…。
【動画】オースティン・マホーン、「ベイビー」カバー
そうやってカバーしたヒット曲をYouTubeにあげる内、ファンはどんどん増えていき、オースティンは需要に応えるべく「11:11」(2012年2月)、「セイ・サムシン」(2012年6月)という2枚のシングルをネット・リリースした。そしてその間YouTubeにアップしたジャスティン・ビーバーの「君とホワイト・キス」で増々ファンを増やしたオースティンは、2012年8月、16歳の時レコード会社と契約し、プロのアーティストとしてスタートを切ったのである。その2カ月後、彼はプロモーションのために、イギリスのロンドンを訪れたが、弊社ロンドン特派員によると、彼が収録に向かったテレビ局前には、約2000人のティーンが集まり、ヒステリックなくらいオースティンに夢中だったという。
【動画】オースティン・マホーン「セイ・サムシン」
彼が初来日を果たしたのは17歳の時。2013年6月上旬だった。その後2回目の来日では、お台場合衆国の特設ステージでライヴをやるというので、一日密着したのだが、当時ポップスターは歌って踊れるのが基本で、炎天下の中、4人の黒人ダンサーを従えたオースティンは、激しい動きのダンス・ルーティンを何度も繰り返し練習していた。今だから言ってしまうが、一生懸命リハをやり過ぎた彼は、本番前に熱中症を起こしていたくらいだ。とにかくオースティンは踊る。マイケル・ジャクソンやジャスティン・ティンバーレイクばりに踊る。本番ライヴを観て、バックで踊るプロ・ダンサーよりオースティンの方が踊れるのにびっくりしたくらいだ。
チームに同行していたコレオグラファーのスキーナ先生が言うには、オースティンは元々まるで踊れなかったのだという。けれどポップスターとしてブレイクするためには踊れることが必要と判断した彼は、クリス・ブラウンの振り付けをやっていた超一流のコレオグラファー、スキーナ先生と契約し、僅か1年3カ月でダンサー顔負けに踊れるパフォーマーへと成長したのだった。ステージで素晴らしい踊りを見せる教え子に、スキーナ先生は本当に誇らしげにしていた。もうひとりニコニコと彼を見守っていたのは、オースティンのスタイリストを務めていた彼のママ、ミシェルだ。夫であるチャールズ・E・マホーンを、息子オースティンが生後16カ月の時に亡くし、以来シングル・マザーとしてオースティンを育ててきた。オースティンが6歳の時、彼が欲しがったドラム・セットをクリスマスにプレゼントしてくれ、それが彼が音楽にのめり込むきっかけになったという。
未成年の息子を心配して、数年前まで一緒に来日していたママ。そんな母に感謝を込め、オースティンはレコード会社と契約した時、車を贈っている。私もママと話す機会が何度もあったが、アメリカ南部の人らしく信仰深く、そして常識をきちんと持った人、という印象だった。あたたかくて、息子への信頼をためらいなく口にする、善きアメリカのママ、とでも言ったらいいのだろうか?成功やお金を若くして手に入れると、自分を見失ってしまうスターは多いが、この人の息子なら大丈夫、そう思わせるママだった。
順風満帆に見えるオースティンのキャリアだが、2015年夏頃、突然彼はレコード契約を失くしてしまう。ちょうど「ダーティ・ワーク」を発表した直後と思われる。オースティンは19歳になっていた。この曲は、年末に予定されていたオースティンのファースト・アルバムからの先行シングルだったのだが、レコード契約自体がなくなり、アルバムも出せなくなってしまった。CDショップが存在しないアメリカでは、若いアーティストがアルバムを出せることはあまりない。オースティンも残念ながらせっかく作ったアルバムを発表することなく、契約を失くしたわけだ。
そして彼はそのアルバムに収録するつもりだった曲を、ミックステープ「ディス・イズ・ノット・ジ・アルバム」というタイトルで、無料ダウンロードさせてしまう。クリス・ブラウンとコラボした曲や「ダーティ・ワーク」のリミックスが入った、充実した内容だったのにびっくりである。
そしてその1年後、「フォーミー+ユー」というミックステープを出している。どちらもファンのために無料で出したというオースティン。それでお金が入ってくることはなかったが、彼のアーティストとしての成長と頑張りを感じることができる。意外と知られてないことだが、オースティンは音楽馬鹿と言っていいくらい、いつも音楽にのめり込んでいて、自宅でもツアー中でもコンパクトなレコーディング機材を携行していて、曲作りを続けている。ざっくり1年で90曲くらい書くそうだ。
“日本にスタジオを持ってきたしね。いつでも好きな時に曲が書けるように。曲を書くのもプロデュースするのも大好きだからね。凄く楽しいんだ”
ちなみに「ディス・イズ・ノット・ジ・アルバム」に入っている「サムシング・ソー・リアル」は日本で書いた曲である。メジャーとの契約がなくなった後、自主レーベルを立ち上げたオースティン、日本のレーベルとは直接契約を結んでいる。
【動画】オースティン・マホーン「サムシング・ソー・リアル」
そんな彼に焦りは見えない。今の時代、レーベルがバックにつかないと活動できないわけではないから。ましてや彼のスタッフは、マネージャーも含め、デビュー当時からオースティン一筋でファミリーのような存在。しっかり精神面もバックアップしてくれるのだろう。
“ここ1年僕にとって大事なのは、大規模で素晴らしいショーを沢山やったことだね。常に新しい曲をリリースしながら、どんどん大きなショーを増やしていく、アーティストとしてそれが一番重要なんだよ。止まっちゃいけないんだ。前進し続けるのみさ”
21歳になったオースティン、1本芯の通ったアーティストに成長してくれた。
株式会社インロック 代表取締役 加藤有子
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